◎能因歌枕に選定された名勝地・水成川(南九州市頴娃町)【R5】8月5号

 

 今から千年近く前の平安時代の中頃,小倉百人一首第69番「あらし吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり」の作者として有名な能因法師(橘永愷)が,頴娃の水成川にやってきました。

 能因法師は全国を旅し,能因歌枕(和歌に詠まれる全国名勝地名一覧「和歌の教科書」)を作りました。その歌枕の中に薩摩国5カ所が選定され,江戸期の三国名勝図絵にその一つが頴娃の「みなれがわ(水成川)」だと書かれています。

能因法師(のういんほうし)

1 三国名勝図絵に描かれた水成川

 江戸時代の薩摩の絵図・三国名勝図絵は,名勝地を紹介した観光パンフレットのようなものです。その中に頴娃の水成川が描かれています。この元になった能因歌枕は,和歌の世界で伝統的に詠まれている名所のことです。この図絵に旅人や係留されている小舟,土橋が見え,この地が古くから港町として栄えていたことが分かります。川の蛇行は構図上の誇張(当時の浮世絵や絵図は誇張したものが多い)で旅人が立っているところが座禅石のようです。

 岡村からJR水成川駅入口交差点辺りの字を土橋口と言います。絵図を見ると,江戸時代,御領や頴娃麓への街道は土橋を渡り,別府公民館前や榎木山を通ってから石垣に入っていたのでしょうか。馬渡(馬で川を渡す),渡瀬(歩いて渡れる浅瀬)の字名が残るように防衛上,川には橋を架けませんでした。江戸時代以前は旅人も少なく,川に橋はほとんど無かったのです。渡瀬は歩いて渡れる浅瀬のことで,橋は架かっていませんでしたが,江戸期の水成川の絵図には土橋が描かれています。

2 平安期の歌枕にでる水成川

  能因法師は平安時代中期を代表する中古三六歌仙と言われる歌人で,諸国を旅して能因歌枕を著しました。水成川で旅装を解いたとありますので,しばらくこの地に留まったのでしょう。能因が水成川の滝を眺めた四十畳程の岩を座禅石と言い,水成川交差点の橋下にあります。歌枕とは和歌によく詠まれる名勝地のことで,「吉野と言えば桜・飛鳥と言えば世の無情」等を連想する類の代表的な地名のことです。「見渡せば ゆあふか嶋(硫黄島)に,立つ煙 やくにも立ぬ 我おもひ哉という夫を待つ妻の唄が残っています。

 さしずめ水成川とは大海原(自然)に漂う人間のはかなさを連想する歌枕なのでしょうか。何故この地が選ばれたのでしょうか。河口からは煙を吐く硫黄島が見えます。平安時代,硫黄島は「鬼界ヶ島」といい鬼の住む島と言われた流刑地で,水成川や門ノ浦はその港でした。昔の港は,水門(みなと)と書き,河口のことです。南薩の地は東シナ海に面し,美しい眺めもさることながら,遣唐使船等が帰着し中国文化が伝わる地です。また,この地には辺境の地によくある伝説が多く,人間界と鬼界の境として衆生済度の輪廻転生に関わる地蔵信仰の地でもあるのです。当時の人々にとり薩摩の水成川は単に美しいだけではないのでした。

 能因は学問で身を立てようと大学で文章生として学んでいましたが,26才で出家し,行脚の旅に出たのでした。それは仏の修行でなく,自らの生き方を和歌に詠む日々を送りながら歌枕の地を訪ねて歩いたのです。歌枕は万葉集の時代から起こり,貴族は屋敷の屏風絵に歌枕の地の景色を描かせていました。文化人の憧れの地で,土佐日記や奥の細道なども歌枕をたどった紀行文であると言われます。

 能因はそれまで和歌に詠まれた多くの地を訪れ,普遍的な価値を見出したのです。万葉集の撰者の一人とされている橘諸兄の子孫で,清少納言の親戚にあたり,後に関白藤原頼道に認められ京の歌壇を指導する立場になりました。その頃,和歌作りのガイドブック「能因歌枕」を編集しました。能因歌枕には,北は陸奥(青森)から南は九州薩摩まで北海道と佐渡を除く全国600カ所以上が記されています。九州内は62カ所で,薩摩の国には「①みなれ川(頴娃)」,「②母子島(阿久根)」,「③司野(東郷町)」,「④かざし野」,「⑤おもふの野」の5個所があります。

能因が水鳴川の三瀑を眺めたという大磐石(座禅石)

 水成川交差点橋下の四十畳ほどの岩場が座禅石であると言い伝わるそうです。能因が滞在して滝を眺めたと言われる所ですが,その割には川も小さく本当にこの地なのでしょうか。ただ百人一首に歌われている竜田川にしても,奈良の法隆寺近くの大和川の支流でとても小さな小川です。能因は景色より,身近な自然があり,心に映る原風景を大切にしていました。当時都の僧侶が放浪するのは修業以外の目的もありました。能因や空海,芭蕉などその地を訪れた証拠を和歌や俳句で残したとも言われているのです。

三国名勝図絵「水鳴(水成)川」

◎ 平安時代の能因歌枕に紹介された薩摩国「みなれ川」

・ 頴娃町 別府公民館辺り(字名,川鶴)

・ 土橋(丸太橋に土をかぶせ平らにした橋)(字名,渡瀬前)

※ 国道226号線の水成川郵便局近く

 ・ 川沿いに傘をかぶった江戸時代の旅人(能因法師か)

 ・ 座禅石(国道橋下)(字名,川口)

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