孫次郎の出世物語
孫次郎は,明国南京の裕福な家庭に生まれ,幼少の頃から学問に励む聡明な青年でした。しかし,15歳の時に父親を亡くし,継母の手で育てられることになります。この継母は悪意を抱き,自分の子を跡継ぎにするために張昂を毒殺しようとしました。ついに,張昂は家にいられなくなり,南京を逃げ出します。その後,華僑の本拠地である温州の瑞安にたどり着き,船員として働くことになりました。しかし,不運は続き,その時に倭寇によって坊津に連れてこられることとなったのです。
当時の頴娃氏は山川港を含む広大な領地を持ち,密貿易を行っていたため,中国語の通訳が必要でした。この時代は公式な交易がなく,中国人が日本に渡航することはできませんでした。そのため,多くの中国人や朝鮮人が倭寇によって日本に連れてこられ,下僕として働かされていました。学識のある者は,お寺で写経や雑用を命じられることもありました。
孫次郎も,当初は言葉を覚えるまで耳原の寺で下僕として働いていたと考えられます。また,秀吉による八幡船(海賊)禁止令が出された時期でもあり,孫次郎の継母にまつわる話や彼が唐通事として交渉役まで出世した経歴は,後に藩が作り変えたものかもしれません。
耳原での孫次郎
・頴娃麓大通寺跡の久虎の宝篋印塔
15歳の孫次郎は,坊津にいたところを頴娃久虎の家臣に買われ,通訳としての言葉や作法を学ぶまで,しばらく耳原の宝持庵(耳原六地蔵塔の裏)に預けられました。寺に下僕として売られてきた可愛らしい中国人の少年を,御領村耳原の村民たちは気の毒に思い,彼をいたわり慰めました。寺の近くには市兵衞という情け深い老百姓が住んでおり,孫次郎を見てこう言いました。
「おお,これは可愛い中国人じゃのう。遠慮はいらぬ,家にきなされ」と言い,座敷に引っ張り上げました。その後,市兵衞は家に留め,「孫次郎」と名付けて自分の子供として大切に養育しました。耳原の人々も孫次郎を「唐人孫次郎」と呼び,多くの人から愛情を受けながら成長していきました。
聡明で賢い孫次郎は,宝持庵の小僧として勤め,早朝には村人と共に六地蔵塔に手を合わせ,朝には写経を行い,昼からは子どもたちに学問を教えていました。また,自国の言葉で刻まれた地蔵塔の碑文を唱えたり,村人に儒学を教えたりするなど,さながら和尚様のような存在へと成長し,村人たちにとって欠かせない存在となっていきました。親孝行で学問に優れた孫次郎は,市兵衞にとっても自慢の息子となっていたのです。
頴娃久虎との出会い
孫次郎が耳原に連れてこられてから一年が過ぎようとした頃,頴娃領主である左馬介久虎から呼び出しがあり,市兵衞は孫次郎を連れて獅子城(頴娃城・野首城)に出向きました。当時の獅子城は,矢筈山頂近くにあり五層建ての天守や多くの郭,屋敷,兵器庫を備えた,美しい山城でした。
・頴娃城天守跡
「これはお殿様,お初にお目にかかります。御領村大耳原の百姓で市兵衞と申します。この子が唐人の孫次郎でございます。」と挨拶しました。
「おお,爺,大儀であったのう。」久虎は,まず老百姓である市兵衞の労をねぎらいました。当時はまだ門地や格式が厳しくなく,殿様と百姓との間も堅苦しくなかったため,久虎は特に隔たりを設けずに市兵衞を丁寧に迎えました。久虎は孫次郎の顔をじっと見つめて,「爺,この子は何歳になるのか?」と尋ねました。
市兵衞は揉み手をしながら答えました。「はぁ,15歳で渡ってまいりまして,あれから一年ほど経ちます。年齢の割には大人びており,体格も大きゅうございます。」
「なるほどそうか。それで,学問のほうはどうじゃ?」と久虎が続けると,市兵衞は答えました。「儒学という学問に詳しく,忠義と礼節を重んじる若者でございます。とにかく賢い子でございます。唐では大家の息子として何不自由なく育ったとのことですが,この子の父親が病気で亡くなりまして,継母が我が子に家督を継がせたいばかりに,この子に毒を盛ろうとしたのです。お殿様,まあ,恐ろしい鬼畜でございます。」市兵衞は憤りを隠せず,自分が知っていることを一気に話しました。
久虎は黙って市兵衞の話を聞いていましたが,自らの過去を振り返り,感傷的な気持ちになりました。そして,「おお,そうか,聞けば聞くほど可哀そうなやつじゃ。よし,この子は余が引き受けよう。爺,安心せよ。」と市兵衞に申しつけました。
市兵衞は終始笑顔で,「よろしゅうございます。この子は確かにお殿様へお渡し申しました。おお,これで肩の荷が一つ軽くなりました。お殿様,どうぞよろしくお頼み申します。」と返答しました。久虎は大きくうなずいて,「よし,承知した。」と言い,孫次郎の方を見て,「どうじゃ,わしの家来になる気はあるか?」と尋ねました。
孫次郎は流暢な薩摩言葉で,「殿様,よろしくお願い申し上げます。」と答えました。久虎はにっこり笑って,「おお,よう言うた。これからは,わしに忠義を尽くすのじゃぞ。」と言い,それに対して孫次郎は,「日本の忠義,心得ております。」と答えました。「殿様,御安心ください。」と孫次郎は元気よく答えました。
「おお,ありがたい。孫次郎の評判が城まで届き,大耳原から初めての城勤めが叶ったのじゃ。これも殿様のお陰じゃ…」と,市兵衞は感謝のあまり涙を流しました。そのとき,孫次郎は床に手をついて市兵衞に向かい,「お父さん,御教訓,骨髄に徹して永久に忘れません」と答えました。市兵衞は満面の笑みを浮かべて,「おう,それでこそ,わしが育てた甲斐があるというものだ。お殿様,どうぞ,孫次郎をよろしくお願いいたします。」と言いました。
久虎は市兵衞の意志の強さと飾り気のない姿を見て喜び,「爺,これから時々登城して,孫次郎の成長や立派な武士になる姿を楽しみにするがよいぞ。」と,しんみりとした調子で言いました。市兵衞は御酒や引き出物などのお土産を賜り,機嫌よく獅子城を退出しました。そして,千鳥足でやっとのこと大耳原の家に帰り着きました。