戦後処理の孫次郎(孫次郎の願い)
1598年の年末,泗川の戦で大敗を喫した明の董一元は,参謀の史龍涯と孫次郎を使者として送り,義弘に対して副将の茅国器の弟,茅国科を人質として送るとの和議を願い出てきました。孫次郎は明側の講和特使として,再び義弘の前に現れました。
・鹿児島市稲荷町の稲荷神社
赤狐(右)・白狐(左)
「お殿様,この戦いは千年来の大勝利でございます。明軍も地元民の襲撃を恐れて逃げ帰っています。」と深々と頭を下げ,孫次郎は言いました。
「ところで孫次郎,明側の被害はどれほどであったか」と,義弘はかん高い声で尋ねました。「見附役の報告によると,打ち捨てられた雑兵は数知れず,兵糧米の残りを調べた結果,八万の数に達するかと…」孫次郎は答えました。
「それはまた多いのう」義弘は軍議で戦死者三万八千の報告を既に受けていたので,怪訝な顔をしました。孫次郎は強い口調で「八万という多くの人命が失われました。これまでの戦で朝鮮では百万を超える者が亡くなり,朝鮮は焼土と化しています。この大勝利によって,薩摩は天下に名を馳せる雄藩となるでしょう。そして,平和な国を作ることができるでしょう。亡くなった多くの者のためにも,私のように海賊行為で掠われるようなことがないよう,平和な国をお作りください」と,涙ながらに訴えました。
「よう言うた。八万である。その方が薩摩を救った恩人であることは決して忘れない」義弘は感慨深く述べました。「ところで,孫次郎,褒美を授けよう。そちの望みは何か?」
「この世が平和になることです」孫次郎は静かに答えました。「明は長い間,交易を禁じ,シナ海は倭寇が跋扈する危険な海になりました。華僑が自由に行き来し,南蛮(西欧)の進んだ文化を取り入れなければ祖国の未来はありません。亡くなった犠牲者を弔い,平和な国を作ってください。このことは薩摩に捕らわれてから抱き続けてきた私の願いでございます」
高麗陣敵味方戦死者供養碑
「多くの犠牲者には申し訳ないことをした。今回の出兵がなければ,あの者たちは死なずに済んだものを。私はそなたの国の儒学を学び,人の哀れも分かっているし,祖父日新公の教えもある。帰ったのちには,戦死者全てを弔うこととしよう。」
1599年6月,義弘は約束通り,紀州和歌山の高野山奥之院に「高麗陣敵味方戦死者供養碑」を建立しました。その碑の中央部には,「慶長二年十月,泗川の戦いで明兵八万を倒した。味方三千余を含めて供養する」と刻まれています。日中両国の多くの史料に残るこの「八万」の数字は,孫次郎が伝えたものです。義弘は孫次郎の思いを石碑に刻み,その活躍を後世に伝えました。
その後,五大老との和議も整い,孫次郎と史龍涯は,人質の茅国科を伴い久しぶりに坊津に帰ってきました。15才で拉致された港に,今度は明の使節団代表として訪れたのです。義弘の配慮もあり,耳原からの者たちも大勢集まり,久しぶりの再会を喜び合いました。いったん壊れた明との関係が修復された背景には,孫次郎の活躍があったことは言うまでもありません。
・和歌山県指定文化財「日本武士道の博愛精神の発露の供養碑」
資料(孫次郎の藩の役目)
孫次郎は朝鮮の役で明の倭通事として活動していましたが,明国の文書には「薩州差使人張昂,同実文前来回答」と記されており,島津家が派遣した使者としての立場が強調されています。また島津家は個人の勲功よりも藩の存続や全体の利益を重んじるため,島津一族以外の個人の活躍が多くの史料に描かれることは稀です。それにもかかわらず,孫次郎の業績が多くの資料に残っているのは,その活躍がいかに大きかったかを物語っています。
島津が朝鮮に滞在していた間,朝鮮通事や唐通事を多く抱え,倭城の築城の手伝いや年貢の徴収など,朝鮮人民の支持を得ていたことが分かります。これが,島津が明の標的にされた最大の要因の一つとされています。孫次郎の講和交渉は最終的には結ばれませんでしたが,両陣営を行き来できる孫次郎の情報は薩摩にとって非常に貴重でした。
明の記録には「島津義弘さえいなければ,日本軍を一人も生還させなかった」とあるそうです。これにより,鬼石曼子(島津氏)の名が明にまで響き渡ったことが分かります。戦死者八万の数は孫次郎が明軍参謀の史龍添に報告したものであり,義弘が建立した敵味方供養碑にも刻まれています。これにより,孫次郎のやり取りが明と薩摩の両方にあったことの証明になります。孫次郎の活躍は,坊津から人質の茅国科が大船二隻で明に帰国するまで続きました。孫次郎は四十歳を超える働き盛りでした。
参考・引用文献
「征韓録(平田純正等編修)」・「頴娃村郷土誌(有川天涙編)」・「鹿児島外史」・「西藩野史(得能通昭)」・「薩隅日地理纂考(樺山資雄)」・「島津義弘公記(谷山初七郎著)」・「泗川御在陣記(川上久國)」・「泗川新寨戰捷之偉蹟(東郷吉太郎編著)」・「三国名勝図絵(橋口兼古等)」・「万暦期に日本の朝鮮侵略軍に編入された明朝人(鄭潔西)」・「鹿児島県史料」・「薩摩藩対外交渉史の研究(徳永和喜)」・「和歌山県の文化財第一巻(安藤精一)」