1 困難な離島測量
第八次の主な目的は、前回の天候不良により実施できなかった種子・屋久の測量でした。鹿児島は海岸線が長く(全国で第3位)、また離島が多いため、測量は非常に困難なものとなりました。特に第七次の大隅半島の内之浦から佐多岬や第八次の屋久島にかけては、断崖絶壁に迫った海岸線が多く、極めて困難な状況でした。
伊能の測量日記によれば、屋久島は急峻な山嶺と大きな河川が島の周囲に複数存在し、これによって船測が余儀なくされました。島の周囲には切りだった山肌や大きな花崗岩があり、道のない地域での測量が必要でした。同様に、鹿児島自体も崖地、磯浜、湿地、砂丘海岸など多様な海岸線が広がっており、特に大隅半島の太平洋側や離島(甑島、種子島、屋久島)では、実測による海岸線ではなく、船測や街道測定からの「見通し」に基づいた非実測の海岸線も多く存在していたようです。
これらの測量が難しい箇所では、船による測量を行い、また海岸地域では干満差に影響を受けない近隣の街道測量を活用して、赤の測量線を書き入れるなど、様々な手法が組み合わさっていたようです。
※ 山川港を朝6時に出航し,安房の川湊に夜10時に着(16時間の長旅)
2 測量日程について
(1) 屋久島 3/27~4/25 ・ 本隊「安房・小瀬田・宮之浦・志戸子・一湊・吉田・永田」 ・ 支隊「安房・長江・栗生・大川・永田」 (2) 種子島 4/26~5/22 ・ 本隊「島間・油久・野間・納官・浜津脇・牧川・住吉・赤尾木(西之表)・現和」 ・ 支隊「島間・大川・西野・門倉岬・茎南・油久・熊野」 ・ 横切測量「①国上・井関・安納 ②油久・野間・納官」 |
3 種子島・屋久島の測量について
種子・屋久の測量は梅雨期で、風雨がひどく、伊能隊は長期の風待ちを強いられました。屋久島測量の期間(26日間)の内、荒天のため、実質の測量は半分の13日間しか行われませんでした。特に熊毛地区ではこの時期、季節風が強く、最初は西之表寄港予定でしたが、逆風のために島間港に変更されました。また、当初の計画の開始日も大幅に変更されました。
種子島では、北隊(伊能隊総勢138名)と南隊(坂部隊71名)とに分かれて測量が行われました。測量隊以外にも、種子島家からの依頼で,地元の人夫や炊き出しの支援などが地区ごとに出動し、万全の態勢で測量に臨んでいました。興味深いことに、伊能隊19人に対して、薩摩藩の役人が160人、協力した村人が総数1784人もいたそうです。このような協力体制が整えられ、地域の人々と連携しながらの困難な状況への対応が、伊能隊の測量活動の成功につながったのでしょう。
(1) 測量
・ 油久村野間村境~野間村~納官村~浜津脇 ・ 支隊による中種子の横断測量 油久村女洲~野間村竹屋野~田尻川~納官村益田~仕越~大塩屋港 また,種子島では海岸線だけでなく西之表と野間を通る横断測量も行っている。 ・横断➀ 西之表村「西之表東町~小牧~上之原~桃園~川氏~現和・上之町~田之脇」 ・横断➁ 中種子村「浜津脇~竹之川~広野~納官・春田~古房~中之町~郡原~増田湊」 |
(2) 小学校区
(1) 海岸線 ・国上・上西・榕城・下西・住吉・伊関・安納・現和・安城・立山 ・星原・納官・野間・南界・岩岡・増田・油久 ・島間・大川・中平・西野・花峰・茎南・平山 (2) 横断の小学校区は(1)海岸線と同じ ➀榕城・安納・現和 ②星原・納官・野間・増田 計 24校 ※ 校区を通っていないのは,山間部の古田小と中平小の2校だけ。 |
★ 熊毛郡にある小学校は、種子島が26校、屋久島が8校で、総計34校が存在しています。このうち、91%にあたる31校が伊能隊によって校区の測量が行われました。特に、屋久島では山が海岸沿いまで広がっているため、測量隊は全ての学校を通過しました。