おはら節の伊敷原良の化粧水とは何~「遊郭説」か「田植え歌か」【R5】7月13号

雨の降らんのに 草牟田川濁る 伊敷原良の オハラハー 化粧の水

 全国的に有名な「おはら節」の由来は,都城の安久(やっさ)節が起源だと言われます。なるほど歌詞にオハラがつき,曲の雰囲気もノリも似ていますね。

 琉球侵攻に参加した都城の安久武士にとって初めての船旅。また快適な旅客船の旅でなくすぐに船酔い。薩摩武士に負けじと士気を鼓舞するために唄い始めたのが「安久節」という訳です。そこに同船していた伊敷村原良(城西)の郷士が、これを聞き覚えて帰国後,歌詞を作って歌ったというものです。

 おはら節の歌詞には諸説あるそうですが,冒頭の「伊敷原良の化粧水」として,鹿児島アリーナ辺りに郭街があり,そこから白い化粧水が流れ出たという説を聞いたことがあります。しかし,この地は古い時代は牟田や野良で,近世に入ってからも水田地帯で,遊郭があった記録すらなかったと何かの資料で読んだことがあります。

 有力な説として,当時,市内有数の水田地帯であった草牟田川(甲突川)沿いの「田植え労作唄」であったとの説がしっくりきます。原良・永吉地区は区画整理の後,立派な住宅街になりましたが,かつては「原良の田んぼ」といわれた田園地帯でした。今では用水路が張り巡らされていた田んぼや田植えの光景をみることがありません。

川田川の田植え

 郡山東部地区の川田川(甲突川支流)沿いは今も稲作が盛んです。田植えが始まる頃,車で通ると白く濁っている川を見ることができます。田植えの数日前までに耕耘機で代かきをし,苗を植えるちょうど良い深さで田植えをします。代かきから田植えまでの水加減が難しいそうです。この時,排水する白い泥水が,おはら節に歌われる「化粧の水」であると実感します。

 伊敷・原良地区は,江戸期に水田地帯として開発した地域で,昭和30年代までは水田地帯に水を注いでいたようです。伊敷から草牟田辺りは,甲突川右岸の「石井出用水」と左岸の「長井田用水」の落とし口が何か所もあり,特に白く濁っていたようです。毎年,田植えの時期になると,魚釣りや川遊びが出来なかったとのことで,代かきの時期に流れ出た濁った水ではないでしょうか。

 オハラ節発祥の地銅像が原良第二公園にありますが,かつて西警察署前の菓子屋薩摩庵の駐車場に銅像がありました。これは,名物商品「おはら餅」から作ったもので,発祥の地に因む歴史的なことではないそうです。

 「花は霧島 たばこは国分 燃えて上るは オハラハー桜島 ハ ヨイヨイ ヨイヤサット…… 雨の降らんのに そむた川にごる 伊敷原良の オハラハー 化粧の水 ハ ヨイヨイ ヨイヤサット」

・薩摩藩沿革地図(伊敷村永吉・原良)

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