ゴクミの想い出

テレビ世代

 私はいわゆる「テレビ世代」で,食事をするときや休憩を取るときには,いつもリビングのテレビをつけて過ごしています。しかし,午前中から夕方にかけてはワイドショーばかりで,なかなか見たい番組がありません。そこで最近は,録画していたドラマや映画などを観ています。

 中でも,朝ドラやドキュメントの他にも,『男はつらいよ』や『釣りバカ日誌』などの映画を楽しんでいます。特に『寅さん』は,思い出深い作品で,学生時代にはお盆や正月に故郷へ帰省すると,友人たちと一緒に映画館へ観に行きたくなる「正月映画」でした。都会での生活に疲れて,寅さんの笑いや癒しを欲していたのでしょう。映画を観終えた後は,毎回そのまま居酒屋で同窓会でした。

 『寅さん』を観たくなる理由は,ただ面白いからだけでなく,映画のロケ地の撮影が全国各地で取られており,久しぶりに故郷に帰ってほっとする気持ちとどこか重なるような気がしていたからです。故郷の懐かしい風景や友人の温かさに触れたときの感覚が,寅さんとどこか通じ合っているように感じられました。テレビでは映画館ほどの臨場感はありませんが,今でも学生時代に観た映画と同じような雰囲気が蘇ります。 

男はつらいよ お帰り 寅さん

 先日観た『男はつらいよ お帰り 寅さん』では,渥美清さんはすでに亡くなられていたため,物語の主人公は甥の満男(吉岡秀隆さん)で,寅さんは回想シーンの中で登場していました。これまでのほぼ全作品を観ていましたので,懐かしくてたまりませんでした。

 満男といえば,やはり泉ちゃん(後藤久美子さん)を思い出します。彼女は当時「元祖・国民的美少女」と呼ばれ,男性はもちろん,女性からも高い人気があったそうです。映画の中での二人のやりとりからは,初恋の淡くももどかしい感情が伝わってきて今でも心に残っています。

 また,作品を観ていると,懐かしいシーンでのあの有名なセリフが自然と思い出されるのも,寅さんシリーズならではの魅力です。映画館で観ていると,次に寅さんが登場しそうな場面になると,まだ姿を現していないのに,会場から笑い声が聞こえてきた時は驚きました。観客の誰もが寅さんの人物像から次のシーンまで思い描いていたのでしょう。この作品が多くの人に愛されていたことが分かりました。今でも登場人物たちの表情や言葉が心に残る『男はつらいよ』は,日本映画の不滅の名作だと思います。

「ゴクミ」と子どもたち

 昭和61年ごろ,「泉ちゃん」こと後藤久美子さんは,「ゴクミ」という愛称で一躍有名になりました。NHKの『テレビの国のアリス』でデビューし,少女雑誌の表紙を飾るなどして,小学生の女の子たちの間でも人気を博していました。当時,彼女が出演した大河ドラマ『独眼竜政宗』が放送されると,担任していた3年生の学級でも,その話題で持ちきりになっていました。当初私も知りませんでしたが,毎日のように日記にその名が出てくるのです。

・ 大河ドラマ「独眼竜政宗」

初任校での想い出

 私の赴任校はいわゆる「単式校(学年一学級)」で,子どもたちは学年ごとのクラス替えがありません。友だちも1年生からずっと同じ顔ぶれで,唯一変わるのが担任の先生だけという環境でした。このクラスの前任者は厳しいベテランの女の先生だったので,その反動もあってか教師になりたての私は,子どもたちも緊張感なく接することが出来たようで,休み時間になるとわいわいと集まってきては私をおちょくるのが日課のようになっていました。

 3年生という学年は,学校生活にも慣れ,毎日元気いっぱいに走り回る時期です。同時に友人関係での悩みを持ったり,親に対する小さな反抗心が芽生えたりする時期なのです。

 そんなある日,A子のお母さんから「最近,子どもが学校で友だちとうまくいっていないようなのです」と相談を受けたことがありました。

靴下で駆けるA子ちゃん

 ある日のこと。クラスの女の子の日記に,こんなことが書かれていました。

 「先生はA子ちゃんの靴下を見たことがありますか? …真っ黒です。どうしてか分かりますか? 給食の“ごちそうさま”が終わると,すぐに廊下を走って校庭のブランコを取りに走るんです。みんなが外履きに履き替えてから行くのに,A子ちゃんは靴下のまま飛び出して行くんですよ! 私たちが着く頃には,もう場所を取られていて,交代してくれないんです。先生,どうにかしてください!」と何人かからの訴えがありました。

 「譲り合って使うのが学校全体のルール」なのに,友達には譲らないのは許せませんと,担任の私に直訴してきたのでした。

 放課後,私はA子を呼んでやさしく諭しました。

 「ねえ,場所取りをするために靴下で校庭を走るのはちょっといけないよね?みんなが着く前に場所を独り占めするのはどうかと思うけど……」

 するとA子は,悪びれることなく,真顔でこう返してきました。

 「はぁ~先生,早く行ってブランコを取っているだけです。自分たちも早く行けばいいだけのことじゃないですか?それに先生,男子はもっとずるいことをしていますよ」と,うっすら笑みを浮かべて言い返してきたのです。

 翌日,彼女のお母さんが別件で教室にやってきました。この件を話すると,お母さんは申し訳なさそうに詫びてきました。そして,「家でも全く同じような感じです。先生,今度は厳しく指導してください。」と言うのでした。毎日靴下が汚れて帰ってくる理由が分かり,ついにはお母さんと一緒に大笑いしました。

 A子はいつも明るく,にこにこと笑っている子です。誰かを悪意で困らせようとしているわけではなかったので,少しだけ様子を見ることにしました。

私の本当の姉はゴクミです

 その後しばらくたってからのことです。ある日,何人かの女の子たちが私のところへやってきて,こう言いました。

 「先生,A子ちゃん,最近元気ないんです。たまに泣いてるみたいで……」

 その日はちょうど職員会議などでバタバタしており,じっくり話を聞く余裕がありませんでした。気になりながらも,その日は対応することができませんでした。

 そして翌日,1時間目が終わった休み時間に,さっそくA子を呼んで話を聞いてみました。しかし彼女は下を向いて,「別に,なんでもないよ」と小さな声で答えて自分の席に帰りました。

 ところが,次の休み時間。今度はA子のほうから私のところへやってきて,「先生,実はね……あ,…やっぱりいいです」と,落ち込んだように言うと自分の席に戻っていきました。

 「これは何かあるな」と感じた私は,昼休みに再度呼び出して,今度こそちゃんと話を聞こうとしました。すると,彼女は神妙な顔でこう言ったのです。

 「先生,実は私……今の家の子じゃないの…」

 私は一瞬,何のことか分からず戸惑いました。でも,思い返してみれば,以前お母さんがやってきて相談したそうな様子だったことなのかと,一瞬思いがよぎりました。しかし,家庭の事情に担任としてどこまで踏み込んでいいのか分からず,そのままにしました。そして,その日の帰りの会が終わったとき,またしてもA子が近寄ってきました。

 「ねえA子さん,どうして今の家の子じゃないって思ったの?」と,思い切って聞いてみました。すると彼女は,真面目な顔でこう言ったのです。

 「実は…,私の本当のお姉ちゃんは今のお姉ちゃんじゃないの。…本当のお姉ちゃんはゴクミなの!実はわたしはゴクミの妹なの」と言うのです。

 そして,わたしの呆れた顔を見ると,笑いながら,A子は教室を出ていきました。なんと,前日に友だちから“先生,A子ちゃん元気ないよ”と友人たちとグルになって仕掛けたその日から,丸一日かけて,私を本気でからかっていたのでした。

 A子が帰った後,お母さんからの相談の返事もあったので,電話をしました。その出来事を話すと,お母さんはまたしても電話口で大笑い。

 翌日,一つ上の姉が,「先生,妹が本当に馬鹿なことを言ってすいませんでした」と,お母さんに言われて私のところへ謝りに来ました。当時の私はまだ若く,子どもたちにすっかり「舐められていた」のです。

 ちなみにそのA子は,のちに国立の医学部に進学し,今では県外の女医さんとして活躍しています。40歳の同窓会で再会したとき,このエピソードを話してみたのですが,

 「え? そんなことしましたか?」と,まるで覚えていませんでした。私の若いころの懐かしい思い出のひとつです。

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