ビートルズ英語で学んだ世代

ジョン・レノン最後の詩

 先日,夫婦で「夢と創造の果てに~ジョン・レノン最後の詩」を観に行きました。座席数は40名に満たない小さな会場でしたが,観客はその半分ほどで,しかも高齢の夫婦が多かったと思います。おそらく,皆さんビートルズファン歴が半世紀以上という方々ばかりだったのでしょう。私を含め会場には,静かながらも長年ジョンを見つめてきた人たち特有の空気が漂っていたように感じました。

 しかし,「レット・イット・ビー」のような,ライブ感のある映像やインタビューを織り交ぜた構成を想像していたため,正直なところ少し肩透かしを感じました。

 また,ビートルズのメンバーが登場する場面が少なく,とりわけ当時のポール・マッカートニーの心境や,オノ・ヨーコのインタビューを通じて語られる内面世界を深く知りたいと思っていただけに残念でした。また,「イマジン」に象徴されるジョンの平和観についても,あまり掘り下げられず,アーカイブ映像も期待していたほど多くはなかったように思います。

 本作は「ジョン・レノンの生涯最後の10年間」にスポットを当てた作品との触れ込みでしたので,特に遺作となった『ダブル・ファンタジー』の制作過程の映像は見たことがなく,大きな期待をもっていました。一流のスタジオ・ミュージシャンたちと共に行われたセッションの様子や,創作に向き合うジョンの姿をもっと見たかったのです。さらに言えば,彼が射殺された当日の状況について,関係者の証言などがもう少し語られるのではないかとも思っていました。そのあたりが淡々と通り過ぎていった点も,心に引っかかるところでした。

 隣の妻の反応(ZZZ…)とは別に,こうして改めてジョン・レノンの晩年を改めて知ることが出来,長年のファンの一人としてはありがたい機会でした。一方期待が大きかった分,物足りなさも残りましたが,それもまた,今なお多くの人にとって特別な存在であり続けている証なのかもしれません。

FMラジオ付きカセットデッキ

 ビートルズが活動していた頃,私は次のシングルレコードを買うために小遣いを貯金していました。しかし,当時のシングル盤は中学生にとっては高価で,気軽に買えるものではありませんでした。そこで,「英会話の学習」という名目で親に頼み込み,当時としては高価だったFMラジオ付きカセットデッキを買ってもらいました。テープ代だけで音楽を録音できたため,大変助かりました。ラジオの深夜放送に没頭してしまい成績が落ちて一時期ラジカセを没収されたことがあります。ビートルズで英語が学べたら楽だろうと思っていましたが,現実は決して甘くありませんでした。それでも,生きた英語教材であったことは間違いありません。

 民間企業にいたころ,転勤先の仕事の関係で英語を使う必要が生じ,アメリカ人の個人家庭教師に一年ほど学びましたが,生きた英語に触れることで何とかなるものです。日本の教科書だけでの英語では限界があり,やはり「楽しく英語を学ぶための生きた英語教育」の必要性を実感しています。

ビートルズ英語で学んだ中学校時代

 以前のブログでも触れましたが,中学校時代の英語教科担任の先生は熱心なビートルズファンで,授業の中でたびたびビートルズの歌詞を教材として取り上げていました。私自身も興味を持ち,自然と英語が頭に入ってきたことを覚えています。

 当時,シングルレコードを購入し,歌詞を自分なりに解釈して質問することもありました。「Let It Be」について,レコードの解説に「あるがままに」と訳されていた理由が気になり,なぜその意味になるのかを尋ねたことがあります。「Let it~」「be」の文法的説明を受けた記憶はありますが,正直なところ十分には理解できませんでした。

 その際,先生は歌詞に登場する「Mother Mary」は「聖母マリア」を指していると教えてくださいました。そして,

 “When I find myself in times of trouble, Mother Mary comes to me, Speaking words of wisdom, let it be.”

 この歌い出しの意味は,「困難や悩みがあったとき,聖母マリアが私の前に現れ,『あるがままに』と助言してくれた」という意味だと説明され,私は深く納得しました。 後年,ポール・マッカートニーの亡き母メアリーが夢の中で「Let it be」と語りかけたことが,この曲の誕生につながったというエピソードを知りました。しかしそれを知った今でも,私の中では聖母マリアの解釈のほうが,どこか心にしっくりと残っています。

ジョン・レノンの殺害

 ここで,ジョン・レノンの殺害について触れたいと思います。ジョンの死は世界中の多くの人に衝撃を与え,日本の若者たちも深い喪失感と虚脱感に包まれました。ビートルズを通して夢見ていた理想の世界が,あまりにも脆く崩れ去った瞬間でした。若かった私自身,人の死で初めて涙を流したのです。

 当時すでに,ケネディ大統領(1963年)やキング牧師(1968年)の暗殺といった,世界的著名人の殺害はテレビニュースで目にした記憶がありますが,ジョンの死はそれらと比べものにならない程衝撃でした。

 犯人のマーク・チャップマンはジョンの熱狂的なファンであり,彼に強く傾倒するあまり「自分こそがジョン・レノンだ」と思い込み,「世の中にジョン・レノンは二人もいらない」として犯行に及んだと新聞で知りました。また,名声を得たかったとも言われていました。しかし当時の私には,そのような犯罪心理を理解すら出来ずに,その動機の意味を受け止めることはできませんでした。

国民が悲しんだ政治テロ

 民主主義国家において,政治家が命を狙われることは極めて稀だとされてきました。その中で,三年前の安倍元総理の暗殺は,日本社会に深い衝撃を与えました。安倍さんは日本の政治家の中で国際的な知名度も高く,ようやく世界で日本の立場を発信できる人物であっただけに,その喪失は大きいものでした。

・山口県長門市

 しかし事件後,一部の報道では犯人に同情的とも取れる論調ばかり数多く報道し,世界的に見ても異常で法治国家の報道としての姿勢が問われるべきだと思います。また,テレビでは反対派の主張ばかり流し,世界各国から届くメッセージや葬儀の際の若者たちの長い行列を報道することもなく,本当に偏向だらけの報道だと思いました。

 仮に新聞記者が記事への恨みで殺害されたなら,「言論の自由への侵害」と厳しく非難し,犯人が記事によって辛い思いをし,精神的に不安定だった事実があったとしても,犯人への同情や心情が擁護されるようなことは絶対に書かないでしょう。

 無差別事件や猟奇殺人と同様,政治テロも社会に恐怖を与え秩序を揺るがす行為です。政治家や著名人を狙うことは,民主社会全体への挑戦であり,どんな理由があったとしても決して正当化してはなりません~「国境なき記者団」。日本の報道姿勢は,自由主義国家のメディアとしていま一層の成熟が求められています。(報道の自由度ランキング世界72位G7で最低) 

・ 日本武道館

 1966年(昭和41年)のビートルズの武道館公演から56年後,同じ武道館で安倍晋三元総理の国葬が執り行われました。かつて私も武道館でボブ・ディランやエリック・クラプトンなどのコンサートで訪れたことがあります。広い会場でステージの歌手の表情は殆ど見えませんでした。

 安倍さんは,ジョン・レノンが殺害されてから42年後に同じように凶弾に倒れ,この広い会場で一人の世界的な政治家として送り出されました。

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