六月灯の起源となった重宝山上山寺と観音像(2)【R5】7月2号

・ 今の城山はもともと「上山うえやま」と言っていました。鹿児島市の一部を治めていた上山氏のお城があった所です。鎌倉期末に城山に下着した松尾・小原氏が,この地の名を取り上山氏 うえやましと名乗ったことが始まりです。南北朝時代に島津貞久に追われ桜島に移住したようです。その後しばらく,上山氏のお寺「上山寺じょうざんじ」は,城山観光ホテル辺りから裏のドン広場にかけ残っていました。

・ 1601年,島津家久は山城を作るため,城山にあった上山寺と観音堂を城山の下の新照院町に移しました。それまで島津氏のお城は町の中にある簡単な内城(大龍小学校)でした。島津氏は関ヶ原の戦いで敗れ,堅固なお城を作る必要がありました。殿様が住む館を城山の麓(今の県立図書館や黎明館)に作り,山城と館が一体としてできた城が鶴丸城なのです。しかし,神や仏はその土地に宿るのでお墓やお寺を移すことは縁起が良くないと言われており,上山寺は元々上山氏の菩提寺でもあり,島津家に悪いことが起きないようにと次の当主の島津光久公が,新しい観音堂を作り直しました。今から400年近く前のことで,道にたくさんの灯籠を灯し多くの参拝者で賑わいました。

 元々夜祭りは灯籠の灯りをともして,幻想的な元で夏の夜を楽しむ供養の祭りです。その後,殿様にならって家臣や領民たちが,各地のお寺や神社,氏神祠堂に灯ろうを奉納したことが六月灯の始まりになったと言われています。夏場の病気や農作物の災厄を払う祈りを捧げる夏祭りとして定着していきました。廃仏毀釈で上山寺の石仏群は壊されたり,近くの檀家などに分散保管されたりしました。昭和になりこの地に住んでいた元鹿児島市長の勝目清氏が,檀家資料を調べると,この石像が上山寺の観音像であることが分かったそうです。写真の観音様の御尊顔はとても穏やかで安らぎを感じますね。これからも県民に愛される六月灯の由来の石像として大切にして欲しいですものですね。

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