三国名勝図会には,「若宮神社は,野田村の上名の取添新城に鎮座しています。祭神は,出水島津常陸守忠兼公の御霊です。」と記されています。
この忠兼は,薩州島津家5代島津実久公の弟で,6代義虎公の叔父にあたります。武勇に優れ,新納武蔵守に兵法を学び,剣術にも通じていました。永禄年間に長島を攻めて平定しました。それ以前の長島は天草越前守が支配していました。
しかし,忠兼公は天草方の讒言によって義虎公によって誅殺されてしまいました。その後,人々はその御霊を荒神としてお祀りしましたが霊威は鎮まらず,ついには大天狗として祀るようになりました。それでもなお霊威は衰えませんでした。そこで,この村にある山内寺の住職が,神意を尊んで若宮八幡として丁重にお祀り申し上げたところ,ようやく御霊も鎮まったと伝えられています。

若宮神社とは
通常,若宮神社とは,「本宮の祭神の子どもを,その境内に祭った神社」のことです。或いは,本宮を他の土地に新たに勧請して祀った神社のことを言うようです。県内には,若宮八幡が多数ありますが,この八幡神社の祭神は応神天皇であり,神功皇后の御子にあたります。その「若君」をお祀りしているので,「若宮神社」と呼ばれるようになったようです。
鹿児島県神道青年会「ふるさとのお社」によると,県内には32の若宮神社があります。一番多い神社が「神功皇后の御子・応神天皇」を祭る若宮神社のようです。
薩摩の地では,武家の守護神である八幡宮から分祀された神社が「八幡宮若宮」として建立され,宇佐神宮や鶴岡八幡宮などから勧請しているようです。
島津忠兼を祭る若宮神社
その次に多いのは阿久根・長島地区に多くの若宮神社になります。こちらは島津忠兼公を祭っています。島津忠兼は,かつて天草越前守が支配していた長島を攻略し,さらに天草まで攻め入ろうとしたところ,敵方の讒言により,1565年に出水領主・義虎公に誅殺されたのです。
その後,忠兼の怨霊がたたり,悪疫が流行するなど,島民は大いに恐れおののきました。そこで,その御霊を鎮めるため,堂崎城跡に祠を建立し,踊りを奉納し神霊を慰めたところ災いがなくなったそうです。しかし,薩州島津家は秀吉の逆鱗に合い,7代忠辰の代で断絶しますが,これも忠兼の怨霊によるものでしょうか。
ご八日踊り
毎年8月8日には,長島全体が祭り一色に染まる「ご八日踊り」が行われています。この祭りは,町内各地の集落が,種子島踊り,棒踊り,鐘踊り,傘踊りなど,伝統的な踊りを奉納・披露しています。毎年6月頃から地域の方の指導で,小・中学生の練習も始まり,迫力ある踊りを見てきました。とても迫力があり見ごたえのある踊りですので是非一度見て欲しいと思います。

出水・阿久根・長島の若宮神社(⛩が島津忠兼を祭る)

12社中9社が忠兼公を祭っています。