初めての冒険の思い出

頼母子講とは

 お伊勢講のほかにも,県内の市町村単位で多くの講の組織があったようです。その一つが「頼母子講(たのもしこう)」です。頼母子とは,中世の寺院で宗教活動を行う組織として始まりました。活動に必要な資金を調達するために,少しずつお金を出し合って運営される互助的な組織であり,次第に庶民の資金調達手段としても用いられるようになりました。

 教職員家族の頼母子講

 転勤により離島へ異動した教職員の家族にとっては,環境の異なる新たな土地への不安もあったことと思います。また,小学校と中学校が隣接していたことから,若い教職員の世帯が頼母子講に加入しており,家族同士で助け合いながら生活していました。そのため,内地に戻ってからも関係は続き,まるで親戚のように長く付き合いがありました。私が就職してからも,当時の母の友人たちが5~6人集まり,よく昔話をしていました。

 お伊勢講のように輪番制で係を務める必要もなく,行事や旅行などもない,気軽な懇親会のような集まりでした。子ども同士が楽しく遊んでいたため,現代で言うところの「ママ友」のような,関係だったのだと思います。離島では遊び場も少なく,娯楽も限られていたため,こうした講の集まりは,非常に貴重な交流の機会だったのです。

離島での想い出

 離島での頼母子講は,月に一度ほど主に昼食会を行っていました。簡単なリクリエーションをしたり,昼食を食べたりして過ごしました。各家庭からたくさんのお菓子やお弁当を持ち寄って食べたり,子どもたちで遊んだりと,楽しみにしていました。「今度のタノモシはいつするの」と母によく聞いていたことが記憶に残っています。

 その会のメンバーは小・中学校の教職員の家族で,昼間に集まっていました。私が住んでいた教職員住宅は三世帯しかなく,同年代の子どもがおらず寂しかったのですが,「頼母子講」では同じくらいの子たちと遊べるのがうれしく,特に同じ年の女の子と仲良くしていて,月に一度会えるのが待ち遠しくてたまりませんでした。

 やがて5歳になると,一人でその子の家(小学校の先生の娘の家)まで行って遊ぶようになりました。私たちは,地元のお爺ちゃんの家(中学校の教頭先生の実家)へ一緒に出かけて,庭のキンカンを採りに行ったり,生まれたばかりの子ヤギと遊んだりしていました。

石臼でひいた団子

 その日は,お爺ちゃんが「石臼で米をひいて団子を作ってあげよう」と言ってくれました。私はうれしくなって,さっそく手伝いました。石臼は重くて,一人の力ではなかなか回せませんでしたが,その女の子と二人で取っ手を持って回すと,なんとか動き出しました。石臼の横から白い粉がこぼれ落ちてきて,それがうれしくて,夢中になって回し続けました。

 奥の方から,お婆ちゃんがあんこ入りの団子を持ってきてくれました。一仕事した後の団子は,格別に美味しかったのを覚えています。帰りには,お土産まで持たせてもらいました。

鉄炮ゆり畑

 その帰り道,私はその子を連れて村外れの小さな農業用のため池の横の畑まで行こうと決めていました。そこは一面に鉄炮ゆりが咲いているお気に入りの場所でした。どうしても白いユリの花を見せてあげたくなったのです。お爺ちゃんの家や池,鉄炮ゆりの畑を見て回るなどまるで初めてのデートのような気持ちだったのだと思います。

 その畑は,山の中の少し薄暗い畑にありました。母と一緒に何度か行ったことがある場所でした。今思えば,あれは自然の花畑ではなく,球根栽培用の畑だったのかもしれません。そのゆり畑を通り抜けるといつもの通りにでて直ぐに帰れます。

 真っ白な鉄炮ゆりが一面に咲きほこり,花が一斉にこちらを向いて咲いている様子が,なんとなく怖く感じられてきました。女の子を前に怖いとは言えず,「別の道から帰ろう」と提案して,私たちは引き返すことにしました。

初めての遭難

 ところが,いつもの道と異なり全く知らない道で,すぐに道に迷ってしまいました。行ったり来たりを繰り返すうちに,辺りはどんどん暗くなっていき,ついに女の子が泣き出してしまいました。私も焦って混乱し,二人とも疲れ果てて,道端に座り込み,お腹が空いたのでお土産にもらった団子を食べて休むことにしました。

 しばらくすると,木の上に月が出てきて,あたりが少し明るくなりました。池まで戻れば道がわかると思い,なんとか池のほとりまでたどり着きました。ほっとしたのもつかの間,一本道だと思っていた池の入口のそばには見覚えのない小道があり,またしてもどちらに進むべきか迷ってしまいました。人生で初めて途方に暮れた経験でした。

 その時,「いたぞー,こっちだ!」と大人の声がしました。夕方になっても私たちが帰ってこないので,父が派出所や地元の消防団に連絡し,学校の先生方と一緒に捜索していたのです。この池は子どもたちがよく溺れる場所だったようで,知らせを受けた数名の消防団員が真っ先にこの池にやってきて池の中を探していたそうです。親たちは手分けして,連絡のあったお爺ちゃんの家の近くを中心に探していたそうです。

 無事見つけられましたが,初めての“冒険”の代償は大きく,私はこっぴどく怒られました。女の子のお母さんは駆け寄ってきて,その子を強く抱きしめ泣いていました。私がずっと手を繋いでいたと知ると,お礼を言ってくれました。でも,そのときの父の鬼のような形相は,今でもはっきり覚えています。これは,私が4~5歳のころの,小さな大冒険の思い出です。

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