地名散策「⑤頴娃町上別府」

頴娃町上別府の地名

① 只角(タダスミ)

 この地は南薩山地から牧之内まで続く尾根の端に当たり,馬渡川と石垣川に挟まれた地形です。只の付く地名は,多田・但田・徒隅・駄田・只浦・只尾・只川・只隅・只越・只津・只野・只平・只松等の地名があります。上渕別府の只角は,多々良など鉄にかかわる地名か,或いは,只中の真ん中と同じ意味で,単に「すみっこ」の意味か,高い尾根に囲まれた山平に広がる棚田か,いずれかの可能性が強いと思われます。

② 加治佐

 加治佐は,鍛冶屋に由来する製鉄に関係する地名です。「サ」は崖地や崩壊地形,またはヤセ地を指す意味もあると考えられます。この地名は頴娃町と知覧町の境を成す川の名称にもなっています。

③ 青戸

 「青」の付く地名は,草木の多い地や青々しい山間,湿地などに使われることが多いですが,青戸の場合は「粟戸」であり,粟ヶ窪の入口を意味しているのかもしれません。粟が生えた地という解釈も考えられます。郷土誌によれば,青戸は水が不足して長く人が住めない土地であり,人が住むようになったのは江戸期以降だと言われています。青戸小学校近くの農協の近くには角方神社または鶴ノ方神社があり,かつて鶴が住んでいたが,鉄砲で撃たれたため寄りつかなくなったという伝説が残っています。

 青戸には「宝代」という姓があり,この姓の由来は藩政時代の門割制度に由来する「宝代門」から生まれた地名で,明治期に新たに作られた姓である可能性があります。頴娃字図には「宝代前迫」「宝代山頭」といった地名が残っています。鹿児島では,明治期の苗字必称令によって藩政時代の門名が姓名として使われる例が多かったです。

 青戸の古老によれば,青戸はかつて一つの集落で,上下に分かれて青戸上を「フッデ」と呼んでいたが,いつの間にか「宝代」という地名になったとされています。私見ですが,「フッデ」は鹿児島弁で蓬(ヨモギ)を指す可能性があり,「蓬台(フッデ:蓬の茂る土手)」の意味ではないかと想像されます。この場合,標準読みでは「ほうだい」となり,後に瑞祥地名として「宝代と名付けられたのではないかと個人的に考えています。また,多くの宝代姓の人が「タカラシロさん」と呼ばれることがあるようです。

④ 飯伏(イブシ)

 「イ」は川を意味し,「フセ」は臥せ・布施・伏せ・布勢などと書かれ,川や段丘に囲まれた小高い場所にある傾斜地を指します。飯伏の地名は,石垣川に沿った傾斜地に位置する布瀬(三方に囲まれた突起状の台地)を示しているのではないかと考えられます。この地名の「布勢」は,二つの瀬(フセ)に由来する可能性があり,石垣川の支流で分かれた二つの瀬と,農免道路の南側の山地にある三方を囲まれた傾斜地を指しているのでしょう。飯伏出身の先生に「よっ,いぶし銀」と言ったらハイハイと軽くあしらわれました。

⑤ 折尾・尾曲

 頴娃の地名には,南薩山地からの尾根が影響しており,「尾」の付く地名が多く見られます。折尾は,標高約400メートルの丘陵の山麓に位置しており,山頂から下に向かって延びる「下り尾」や,尾根が河川の浸食などによって折れたように見える崩壊谷を指している可能性があります。一方,尾曲は,尾根が曲がった地形であり,崩壊した地形に近いと考えられます。また,曲田(マガイダ)は,曲がった形状の田や棚田を指し,河岸段丘などに見られる地名です。

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