頴娃町御領の地名
御領の地名は摂関家へ寄進された荘園名から生じたと言われています。
① 鶴田
「鶴田」は「川田」と同義で,馬渡川の水を利用した水田地帯を指します。鶴は瑞祥地名であり,本来は水の流れを示す言葉です。川底が涸れずに滑らかであることから,「ツルツル」と滑る様子に由来し,「水流」の意味が込められています。また,「津留」と表記されることもあり,水流は水路のある低地を指すことがあります。
② 馬渡
江戸時代には,防衛上の理由から川に橋を架けないことが多く,馬で人や荷物を渡した場所を指します。これを「間渡り」とも言い,山間の狭間で人が渡る川路のことを示します。浅い川は一人で渡れる場合が多いですが,深く幅広い川では馬や駕籠で渡ることがありました。近くには「渡瀬」「中渡瀬」「駕籠渡瀬」といった地名が残っており,「渡瀬」は歩いて渡れる浅瀬の意味で,橋はなく渡し場(渡)の地名に多いです。
③ 矢越
峠の地名には「矢越」(矢が越えるほどの小さな丘)や「名越」(越えにくい),「鳥越」(鳥だけが越せる峠)などがあります。矢越海岸は砂鉄の産地として知られ,赤崎休右衛門が製鉄を行う際に矢越浜から砂鉄を運んでいました。また,川辺の池之河内製鉄遺跡では,喜入の前浜や矢越浜から運ばれた砂鉄が使用されていたことが確認されています。
④ 後田
「後田」は「前田」に対する地名で,前田が下出側に位置するのに対し,上出側が後田にあたります。「高田」とは,川田の中で水面より高い,つまり水利が悪い田地を指しますが,「後田」もこれに近い意味を持つと考えられます。前田・後田は神社などの前と後ろに位置する田のことを指し,神社の前にある田は水利が良好で石高も多い傾向があります。一方,後田は山平の田であり,検地上では下々田(げげだ)が多く見られる地域です。
⑤ 九玉(クダマ)
興玉(オクダマ)神社は,天孫降臨の際に天から下ってきた神,猿田彦命を祭る神社です。猿田彦命は,南薩の川沿いや海岸部,街道沿いに多く見られる航海や交通の神であり,興玉神社はその信仰の中心地です。安東氏が馬渡川河口近くに創建した牧聞神社の末社として知られています。他の祭神は大己貴命・武御名方命で,九玉に遷座していたので九玉大明神と呼んでいました。
江戸時代には,馬渡川の鶴田に取水口を設けて用水を引き,佃(作り田・新田の意味)を作りました。さらに赤崎のトンネルを経由して御領東新田に水を引き,その後,下出から馬渡川へと流す仕組みが整えられました。このように川沿いの「落とし口」に神社が位置していたため,現在地に遷座されたそうです。この裏付けとして,地図には現在地と川沿いの両方に「九玉」「九玉下」「興玉下」「大明神」といった地名が残っています。新田開発は1694年に完成しており,それ以前に旧九玉神社が創建されていたことがわかります。
猿田彦命を祭る神社としては,興玉神社,九玉神社,玖玉神社などがあり,庚申の申(さる)から道祖神と同一視されることがあります。明治初期には,仏教色の強い「九玉大明神」から「興玉神」と改められることが多かったようです。現在の興玉神社近くには「番所下」という字名が残っており,御領の庄屋役所が九玉(現小学校)にあったことが示されています。庄屋役所があった地域は政治的にも村の中心地であり,また,馬渡川の下流(御領川)には,長さ七間の土橋(丸太に土をかぶせた)と長さ十四間の板橋がかかっていました。