
・ 昭和54年から46年の歴史ある立体駐車場
山形屋「朝日通り立体駐車場」の閉鎖
先日,山形屋で開催されている「大新潟展」を訪れた際,いつも利用していた山形屋「朝日通り立体駐車場」が一月いっぱいで閉鎖されることを知り,大変驚きました。家族で天文館に行く場合,天文館の大福駐車場か山形屋の立体駐車場を毎回利用していたからです。また,山形屋で買い物をする際には必ず使っていた駐車場だっただけに,寂しさを覚えました。

私は小学生の頃から,山形屋の屋上遊園地や玩具・文具コーナーでよく遊んでおりました。特に玩具コーナーにはマジシャンの店員さんがいらして,商品を購入すると手品を一つ教えてくださったのです。その手品を目当てによく通って,新しく覚えた技を友人たちに披露していました。
そうした思い出の場所が少しずつ姿を消していくことを思うと,寂しさが募るばかりです。当時は,山形屋,丸屋,高島屋という三つのデパートの屋上にそれぞれ遊園地があり,どこも子どもたちにとって格好の遊び場でした。週末になると胸を弾ませて出かけた屋上の風景は,今も心の中に鮮やかに残っています。

山形屋バスセンター
また,当時の山形屋にはバスセンターが併設されており,地方から訪れる人も多く,天文館全体がとても賑わっていたことを覚えています。時代の流れによるものなのでしょうが,屋上遊園地やバスセンターがなくなり,フロアが高級バッグや紳士服,婦人服で埋め尽くされるようになると,どこか敷居の高い存在に感じられ,次第に足を運ぶ機会も少なくなっていきました。

屋上遊園地の中でも,やはり山形屋の規模が一番大きく,乗り物や遊具も充実し家族連れのお客が多かったようでした。なお,高島屋の屋上には,戦時中の戦闘機の実物が展示されていて,当時は各店舗が独自の工夫で企画を立て,客を呼び寄せる努力をしていました。
街の風景や人の流れは変わっていきますが,あの頃の天文館の賑わいや,胸を躍らせながら屋上へ向かった子ども時代の記憶は,楽しい思い出ばかりでした。
バスターミナルとデパート
南薩に住んでいた子どもの頃,私たち家族は,まず山形屋バスセンターで降り,買い物を済ませてから母の実家へ帰っていました。そのため,このバスセンターがなくなったとき,一つの時代が終わったような寂しい気持ちになりました。

当時は,まず加世田で乗り換えてから鹿児島へ向かっていましたので,所要時間は3〜4時間以上かかっていました。それでも,長旅の末に山形屋バスセンターへ到着すると,ようやく鹿児島に来たのだという実感が湧いたものです。県内各地から客を乗せ,直接一つのデパートへと導くバスターミナルは,全国的にも珍しかったと聞いており,それはまさに山形屋が全盛を誇っていた時代でもありました。
現在では鹿児島中央駅周辺が県内の中心地となっていますが,当時は何と言っても天文館,山形屋周辺が中心でした。人々の流れや賑わいの記憶とともに,バスセンターの風景は今も心の中に深く刻まれています。
土地神話から抜け出せない天文館
鹿児島での不動産バブルの崩壊(土地神話の終焉)は天文館からだったのでしょうか。この街の経営者たちの一部が本業以外に手を広げ,土地に依存した経営を続けた結果,最後にたどり着くのは,何の経営努力も要らないマンション建設ばかりです。そのような街並みに,人を惹きつける魅力はもはやありません。
街の魅力とは,わざわざ足を運んでも行きたくなるものではないでしょうか。どこにでもある店,どこにでもある風景であれば,高い駐車料金を支払ってまで出かける理由はありません。にもかかわらず,高層ビルやマンションが乱立し,鹿児島の象徴である桜島の眺めさえ遮られてしまった現在の鹿児島市や天文館に,かつての魅力を感じることは難しくなっています。決して駐車場だけの問題ではないのです。

かつて賑わいを見せていた屋台村は地下へ消え,桜島を正面に望むドルフィンポートは体育館へ(?)。鹿児島を訪れる観光客から,桜島を奪ってしまっているのです。観光立県の鹿児島の将来を個々の企業倫理から市民が守り抜き,鹿児島ならではの風景や体験,個々の思い出こそが,街の価値を形づくるのだと思います。

このままでは,山形屋の衰退と同時に天文館の魅力を半減することに繋がっていくような気がします。故郷が再び多くの人を惹きつける街となるためには,何を守り,何を生かすべきかを,改めて問い直す時期に来ているのではないでしょうか。
こころ旅に映されていたバスセンター
| 山形屋バスセンターのことを考えているうちに,NHKの火野正平さんの番組『こころ旅』で,この場所が映っていたことを思い出しました。2011年12月15日放送回では,城山観光ホテルから旅が始まり,目的地の知覧までどう移動するのだろうと思っていたところ,山形屋バスセンターからのバスでの移動であることが分かりました。この放送の後3年余り後の2015年8月にバスセンターは廃止されました。 当時,私は南薩の学校に勤務しており,放送を見て無性に行きたくなり,すぐに「知覧茶畑のてっぺん」を訪ねました。この番組では基本的に自転車で旅をしますが,輪行であればバスや鉄道の利用も認められており,この日もバスでの移動や,知覧の店のおばさんの車にヒッチハイクする場面など,その番組らしい自由さが印象的でした。 『こころ旅』が始まったのは,東日本大震災直後の2011年4月でした。日本中に悲壮感が漂う中,「人生,下り坂最高!」という言葉とともに,思い出の手紙をたどる旅は,東北の人々に明るい未来をそっと暗示し,同時に亡くなった人たちの人生を静かに追悼しているようにも感じられました。知覧でのロケもまた,その延長線上にあるように思え,山の上のデコレーションケーキのような風景を,どうしても自分の目で見てみたくなったのです。 また当時,県内の学校でも避難訓練を根本から見直し,地域と連携した体制づくりに取り組んでおり,日常と非常の狭間で,この番組が与えてくれた静かな希望が心に残っています。 |

・ NHKのこころ旅「知覧 茶畑のてっぺん」より
