ある朝の校訓碑のエピソード
朝の挨拶運動の中で、いつも元気な挨拶をしてくれる2年生の女の子がいました。ある日、その子が挨拶を終えて校訓碑「かしこく・やさしく・たくましく」の横を歩いていると思ったら、突然ランドセルを揺らしながら引き返してきました。私は驚きながら「どうしたの?」と尋ねると、彼女は「先生、校訓を変えてもらえませんか」と言い出しました。その理由を聞いてみると、彼女は勉強が苦手なのに家でも学校でも勉強のことばかり言われているので、「かしこく」の校訓を毎日見たくないからだと語ってくれました。「それならば、どのように変えてほしいの?」と問うと、「かくこく」を取って、「かわいく・やさしく・たくましく」が良いとのことでした。それならば直ぐに私も出来ると微笑みながら言いました。この可愛らしいエピソードに触れ、その日一日を楽しく過ごすことができました。
後日、その出来事をPTA役員だった彼女の母親に伝えると、母親は「先生、あの子はそうやって人のことをおちょくって楽しんでいるのですよ。家でも父親に似たようなことを言っています」と申し訳なさそうに話しました。少しショックを受けましたが、それでも毎朝笑顔で挨拶してくれる彼女の姿は、周りを明るくし、彼女なりのちょっとしたユーモアなのかもしれません。そして、その次の日もまた正門で「先生、おはようございます。今日もいい天気ですね。」と笑顔で校舎に入っていきました。
この出来事を通して、「自分の弱みや苦手なものをユーモアで包み込むことで、楽しみや前向きな気持ちを見つけることができるのだ」と気づかされました。挨拶のほんの一瞬が、みんなの笑顔を広げ、学校の雰囲気を温かくしてくれたエピソードでした。
校訓碑について思うこと
・ 校訓について,かつての上司(校長)から聞いた昭和60年代の話です。その上司が鹿児島市内の伝統校といわれる学校の教頭時代に,新たな校長が着任した時のことです。校内を案内していると,校訓碑の前で「この校訓碑を直ぐに処分してください。」と言われたのです。突然のことで当惑しながら理由を尋ねると,「校訓は学校教育目標が決まってから設定するものです。私はまだ校訓を決めていませんとのことであった。」上司は戸惑いながらも,学校主事と共に校訓碑を体育館の裏に隠して様子を見ることにしたそうです。
この話を聞いた時、学校教育目標や校訓が毎年同じで,石碑になっていること自体疑問に思いました。本来、教育目標は社会の要請や子どもの実態に応じて変わるべきもので,そのスローガン的な校訓も同様だと考えていたからです。しかし、後に調査すると市内の多くの学校で、毎年同じ校訓が石碑に刻まれている実態が見受けられました。昭和から平成にかけて、「新学力観」が提唱されると、ようやく多くの学校で教育目標の変更の動きが見られるようになりました。
教育目標と校訓について
・ 学校の教育目標と校訓は、地域や学校ごとに異なる特徴を持ち、その関係や優先順位は様々です。私が勤務経験した学校では、まず「学校教育目標」が策定され、学校の教育理念や目指す方向性を示していました。そして、この教育目標をより分かりやすい形で子どもたちに伝えるために「校訓」を教室や廊下にも掲げていました。校訓はスローガン的なもので、子どもたちが理解しやすく、取り組みやすい内容が分かりやすい言葉で表現されていました。
一方で、鹿児島では伝統的な指針である郷中教育の「負けるな・うそを言うな・弱い者をいじめるな」が、地域社会とのつながりを大切にしています。これらの伝統的な教えを校訓として掲げ、郷土の伝統や歴史に基づいた教育活動に取り組んでいる学校も多く存在します。
しかし、どの学校も教育目標を第一義に考え、その指針として校訓を掲げていますが、地域や学校の伝統、状況によってその順位やアプローチが異なることは自然なことです。時代の変化や社会の要請に応じて、より適切な教育方針を模索し続けることが大切であると考えます。
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