宮沢賢治と柳田国男

朝ドラ「どんど晴れ」で描かれた東北地方

 現在BSで放映されている朝ドラ『どんど晴れ』は,老舗旅館の女将として成長していくヒロインの姿を描いた物語で,毎朝楽しみに見ています。学生時代に兄と東北旅行をした際,平泉の中尊寺金色堂や盛岡城,遠野などを訪れたことがあり,その盛岡や遠野が舞台として描かれているのも懐かしく感じています。

・NHKホームページより

 このドラマでは,家族の絆や愛情が丁寧に描かれるとともに,岩手の自然や文化を背景に,地域に根差した伝統を守り継ぐことの大切さも静かに語りかけています。老舗旅館の若女将の成長を描くと同時に,地域文化と人のつながりを温かく表した作品のようです。

 また「どんど晴れ」とは遠野地方の方言で「すべて祓う」に由来し,「めでたしめでたし」「おしまい」といった物語の結びを意味する言葉のようですので,このドラマも困難を乗り越えながらハッピーエンドに向かうようです。

 先週の放送では,取材で訪れた遠野の人々との出会いの中で,婚約者の父と偶然出会う場面が描かれていました。このシーンで宮沢賢治の「雨にも負けず」や「風の又三郎」も散りばめられ,遠野の風景に溶け込むように賢治の世界が表現されていました。物語の背景には,岩手の文化や民話の世界が色濃く息づいています。とりわけ『遠野物語』の伝承とのつながりが印象的であり,これもまたこの物語の大きなテーマの一つのように感じられます。

 宮沢賢治が,遠野物語の作者である柳田国男の影響を大きく受けたことは,よく知られています。私も教員になって宮沢賢治について調べていく中で,柳田国男の民俗学に出会いました。そして,地域に伝わる民話や「地名由来」に関心を持つようになったのも,柳田国男の著書を読んだことがきっかけでした。そこで柳田国男と宮沢賢治について述べてみたいと思います。

 

(ア)宮沢賢治について

 教員時代に6年担任をすると,研究授業の教材として,宮沢賢治の「やまなし」をよく取り上げていました。

 授業では,まず子どもたちに作品を読ませ,初発の感想を出し合います。その後,課題を設定する際に,私は必ず「このクラムボンって何だろう」と問いかけていました。

 すると子どもたちは,それまで読んでいた賢治の作品から,さまざまな感想や意見を語り始めます。はっきりした答えがあるわけではないのですが,自分たちが思い描く宮沢賢治の物語の世界を,懸命に言葉にして発表していました。

 その姿は実に生き生きとしており,物語の世界を自分なりに理解しようとしていました。議論が進む中で,意見が一つにまとまりそうになることもあります。そんなとき私は,「あの宮沢賢治だよ。そんなに簡単なはずはないでしょう」とひっくり返します。すると子どもたちは再び考え始め,新しい視点から意見を出そうともがきます。

 こうして読み進めながら,新たな問いを設定していく授業を進めていくことで,子どもたちは物語の奥行きに気づき,自分の考えを深めていくのです。私はその過程こそが,文学を学ぶことの意味なのではないかと感じていました。

やまなしの世界観

 宮沢賢治の作品のテーマを一つあげるとすれば,「自然との共存」のように思います。冷夏や日照り,災害の多い東北地方に生きた賢治は,厳しい自然環境の中で人間がどのように生きるべきかを深く考え続けました。そして,経済発展と環境破壊が対立する問題を早くから見つめ,自然を犠牲にしない生き方の大切さを作品の中で描き続けました。

 「やまなし」の授業を通して,子どもたちもそれぞれの感じ方で世界を捉え始めます。ある子どもは次のような感想を述べていました。

 「水の中で生きている蟹たちは,クラムボンの出現に感謝しているように思いました。クラムボンが現れる世界は,生き物が一緒に平和に生きていける世界なのではないでしょうか。だから,クラムボンのことをあまり気にしないことが大切なのだと思います。しかし,弱肉強食の世界でもあるので,クラムボンを気にしすぎると,水の中の魚や生き物たちが生きにくい世界になってしまうのではないかと思いました」と読後の感想を言えるまでになってきます。

 このように,子どもたちは10時間程度の学習を通して,情景描写から自分なりの心象を大切にしながら作品と向き合い,少しずつ自分の考えや意見を持つようになります。文学を読むことは,単に物語を理解することではなく,世界の見方を広げ,自分の思いを言葉にしていく営みでもあるのだと感じます。

(イ)柳田國男について

・ 方言周圏論

 昭和期のテレビドラマでは,各地の純粋な方言がそのまま使われていることもあり,理解を助けるためにテロップが流れていることもありました。しかし近年は,メディアの影響や人の移動の増加により,全国の方言が広く知られるようになりました。方言に対する「言葉の壁」は以前より低くなり,テロップの必要性も薄れてきているようです。
 それでも,東北地方や九州の方言,あるいはアクセントを耳にすると,どこか似通った響きを感じることがあります。たとえばどんど晴れのロケ地である遠野地区は,地理的に隔てられた地域であり,古い方言が比較的よく残っている場所として知られています。九州の離島を含め僻地と呼ばれる地域にも同様の例が見られます。そこには,かつて京都を中心に使われていた古い言葉が,訛りながら方言として残っていることがあります。
 このような方言の広がり「方言周圏論」を提唱したのが遠野物語の作者として知られる民俗学者の柳田国男なのです。古い京都で生まれた言葉や文化が,周辺地域へ同心円状に広がっていき,同じ言葉が遠く離れた地域に残っているという考え方です。
 したがって,中心から遠い地域に残る語ほど古い言葉であり,近畿圏に近い地域で使われる語ほど比較的新しい言葉であると考えられます。沖縄や東北地方の方言を調べることで,日本語の歴史を映し出す貴重な手がかりになるのです。
 しかしSNSの時代になると,あっという間に全国・全世界に広がる現代ではこの考え方は当てはまらないようで,逆に地方発信の言葉がはやることもあるようです。

・柳田国男の著書

海南小記~日本の源流~

 柳田国男の『海南小記』は,官庁を退職した後,南九州から島伝いに南へ下り,鹿児島,奄美,沖縄,石垣の島々を巡った際に,朝日新聞に連載した記事をまとめた紀行文です。そこでは,島々の習慣や風土に目を向け,人々の暮らしや方言や文化を丁寧に描いています。

 また本書では,縄文・弥生の頃から連綿と続く本土と南西諸島(沖縄諸島)とのつながりを,言語や信仰と結び付けて論じています。とりわけ「日本の信仰は南方に由来するのではないか」という視点は興味深く,思わずうなずかされるものがあります。そして,その第一項目として取り上げられているのが「からいも地帯」です。

 柳田国男の海南小記の第一項が「からいも地帯」で,小学読本の尋常五学年の中に,

 「甘藷ノ名ハ地方ニヨリテ異ナリ」。関東ニテハ薩摩芋トイヒ,薩摩ニテハ琉球芋トイヒ,琉球ニテハ唐芋トイフ。名称のカク異ルヲ持テモ,此芋ノ次第ニ西方ヨリ伝来セシコトヲ知ルベシ」(甘藷の名は地方によって異なる。関東では薩摩芋といい,薩摩では琉球芋といい,琉球では唐芋という。名称はこのように異なっているが,この芋が次第に西の方から伝わってきたことを知ることができる。)

と読本に記述されています。

 ところが,この著書『海南小記』では,その点について誤りであると指摘しています。琉球では甘藷を「唐芋」と呼ぶことはなく,一般には「ンム(芋の方言)」と呼ばれているからです。もともと「琉球芋」と呼ばれていたのは,九州北部から中国地方にかけての地域でした。しかしその後,この名称はしだいに整理され,標準語として「サツマイモ」という呼び名に統一されていきました。

ちょいとブレーク

 ここで,サツマイモについて「伝わった時代」や「呼び方」について触れてみたいと思います。

植民地時代に伝わったサツマイモ

 「大航海時代」から植民地時代へと移行していく頃,世界規模の経済活動が活発化し,やがて特産物や農産物,鉱物などが地球規模で交易されるようになりました。サツマイモも世界各地へ広がりました。1584年には中国に伝わり,1597年には宮古島や沖縄などへ広がり,1609年には薩摩へ伝わりました。

 鹿児島では昔からサツマイモを「カライモ(唐芋)」と呼んでいて,私は今でも慣れ親しんだ「からいも」とつい呼んでしまうことがあります。しかし,中国にもたらされてからわずか25年ほどで薩摩に伝わっていることを考えると,長い歴史の流れの中では,ほぼ同時代に東アジアへ広がった作物と言えるでしょう。

 また,江戸時代中頃には,幕府の政策のもと琉球や薩摩から全国へ広がっていきました。度重なる飢饉の中で,多くの日本人の命を救った貴重な食べ物となりました。サツマイモは救荒作物として注目され,1705年には前田利右衛門が南薩で栽培を広め,1735年には青木昆陽によって関東にも伝えられ,やがて全国へ普及していきました。

・徳光神社(2024年3月5日)より

甘藷と甘蔗(かんしょ)

 種子島に勤務している頃,地元の方が砂糖キビのことを「おうぎ」と呼んでいました。これはイネ科ススキ属の荻(オギ)が訛った呼び方だそうです。しかし,公民館長が台風被害にあった砂糖キビ畑の前で「甘蔗(かんしょ)がやられた」とも言ったことがあり,私はサツマイモの「甘藷(かんしょ)」のことかと混同してしまい,会話がうまく通じなくなったことがありました。後になって,サトウキビにも別名甘蔗(かんしょ・かんしゃ)という呼び方があることを知りました。

 青木昆陽が日本全国にサツマイモを普及させ,「甘藷先生」と呼ばれていたことから,サツマイモが中国語の「甘い芋」に由来して甘藷(かんしょ)と呼ばれていることは知っていました。しかし,砂糖きびにも同じ読み方があるとは知りませんでした。方言や作物の名前の由来は,伝わった時代や地域によって異なるものだということを改めて学びました。

 方言として残る地方の言葉を調べていくと,その土地の人たちの長い間懸命に暮らしていた姿が見えてくることがあります。古き良き「文化や方言,慣習」などをこれからますます大切に残して欲しいものですね…。

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