小泉八雲の作品との出会い

父の怪談話

 私の父は中学校で社会科や国語を担当しており,休みになると地域の歴史や民話の収集に出かけていました。高齢者や郷土史家,神社の宮司などから話を聞き,資料を集める姿を私は子どもの頃から身近に見てきました。実際,宮司宅に同行したことも何度かあります。私自身が教員となり,同じように地域の歴史に関心を持つようになったのは,こうした父の姿を見ていたからかもしれません。

 父は収集の過程で聞いたその地域に伝わる怪談を私によく語ってくれました。その語り口は臨場感に富み,子ども心に強く印象に残っています。中でも忘れられないのが,父が十四,五歳の頃の体験談です。昭和初期まで,山の水を分水して田に引く地域(山田地域)では,田植え時期に「水泥棒」多発していたため,集落の若者が輪番で夜通し見張りをしていたそうです。

白い馬にのった侍

 父は地域の先輩たちから奇妙な言い伝えを聞いていたそうです。それは,田に水を入れる時期になると,白い馬に乗った侍の幽霊が,海岸の方から田のあぜ道を通り山の中の神社へ向かって見回りをしていたと言うものでした。先輩たちも口々に自分も見たと言っていたそうです。

 そして父は,その白い馬にのった侍を実際に目にしたというのです。中学生だった私は,その話を聞いて,「疲れて寝込んでしまい,夢でも見たんじゃないの」と言いました。すると父は,少し間を置いて,静かに語り始めました。その侍姿の幽霊が,急に父の見張っていた脇道の方へ向かってきて,真っ赤な目で父をにらみつけた後,また踵を返して元の山道を山の方へ登っていったというのです。

県内各地に伝わる「怪談」

 後年,私が教員となり,この話を思い出して調べてみると,田植え時期の水をめぐる争い,いわゆる「水どろぼう」は,確かに明治期までは各地で存在していたことが分かりました。この手の話が語られる背景には,飢饉や自然災害など当時の人たちの厳しい暮らしや報われない生活の不条理を形を変え,怪談の話になったのかもしれないと思いました。地元の郷土史を紐解くと,木材や水などを別の領地から盗んで殺された農民たちが多かったそうです。

 私が小泉八雲を好きになったのは,教員になってからのことでした。図書室に,八雲の怪談を子ども向けに翻訳した本が置かれており,当時の子どもたちがよく借りて読んでいたからです。その姿に触れるうち,私自身も八雲の怪談を楽しむようになりました。また,日本の神話を調べてみると,そこには怪談的な要素が数多く含まれていることに気づきました。

 鹿児島県にも,地域に伝わる民話の中に怪談的な要素をもつ話が多く残されています。徳之島に勤務していた頃,奄美大島には島津氏による厳しい人民統制やいわゆる「砂糖きび地獄」にまつわる悲話が多いことを知りました。圧政や理不尽な差別が横行する世の中では,民衆の鬱憤が怪談という形で語り継がれてきたのかもしれません。表立って声を上げられない民衆の思いが,物語として残されたのだと感じています。

 小泉の怪談で,子供たちによく聞かせていたのが,朝ドラ「ばけばけ」のエピソードでもありましたが,「耳なし芳一」や「のっぺらぼう」,「水飴を買う女」でした。

・大雄寺に伝わっている「水飴を買う女」

 松江市の「大雄寺」に伝わっている怪談「水飴を買う女」は,亡くなった母親が墓の中で生まれた赤ん坊を育てるため,幽霊となって夜な夜な水飴を買いに来るという有名な怪談です。この「母の愛は死よりも強し」という物語は,八雲によって明治期に広く知られるようになりました。

熊本の小泉八雲旧居

 先週,熊本市にある小泉八雲旧居を訪れました。今回で三度目になりますが,今年は朝の連続テレビ小説「ばけばけ」が始まった影響もあり,朝から多くの来館者でにぎわっていました。中でも印象的だったのは,イギリスから旅行者3人が訪れていたことでした。横顔がハーンの恋人役のイライザに似た方だったので驚きました。朝ドラで見ると,マッサンの時と比べるとやはり年を重ねたこともあり,熟した演技が印象的でした。

・イギリスからの観光客 ・イライザ役のシャーロット・ケイト・フォックスさん

 案内の方によると,来館者の1〜2割が外国人だそうで,ハーンの『怪談』には日本文化への深い理解と愛情が込められおり,またハーン独特の流麗な文章によって描かれているため海外でも高く評価されているそうです。また作品に現れるハーンの宗教観世界観などが国境を越えて共感されていることを知りました。

 

九州新幹線全線開通に伴う交流連携協定

 平成24年から,鹿児島市は熊本市・福岡市・北九州市と交流連携協定を結んでいるそうで,65歳以上は入館無料とのことでした。熊本市の住民と同じ扱いをしていただき有難かったです。九州新幹線全線開通により,沿線都市の連携と交流はますます重要になります。九州を一つのまとまりとして国内外から観光客を迎えることは,大きな魅力と力になるでしょう。将来的な「道州制」を見据え,九州が一体となった経済活動の大切さを改めて感じました。

 今後は,県という枠組みにとらわれず,「九州は一つ」という意識のもとで広域的な連携を進めていくことが求められるのではないでしょうか。例えば,宣伝予算を広域で集約し,スケールメリットを生かすことで,全国はもとより,世界からの観光客をより効果的に誘致することが可能になると思います。九州全体を一つの魅力ある観光圏として発信することは,大きな力となるはずです。

 将来的な「道州制」を見据えたとき,九州が一体となって経済活動や交流を進めていくことの重要性を,今回の経験を通して改めて実感しました。地域を越えた協力が,九州の未来をより豊かなものにしていくと感じています。

 館内の説明板によれば,小泉セツ(明治元年~昭和7年,64歳没)は,代々松江藩に仕え,300石取りの番頭を務めた家柄の出身でした。その後セツは稲垣家(100石)の養女となるが,養父が詐欺に遭い,家財をすべて失ったそうです。これは朝ドラ「ばけばけ」の通りです。

 明治19年,藩士・前田為二を婿に迎えて結婚しましたが,結婚生活は一年余りで終わり,離婚に至っています。その後,ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と出会い,家政婦兼秘書として彼を支え,やがて夫婦となったのです。

 八雲の代表作『怪談』は,セツが語った日本の伝承や民話をもとに,八雲が文学作品として再話したものです。ハーンが熊本に赴任したのは,明治24年11月から約3年間で,熊本市の県立第五中学校で英語教師として勤務しています。

・ 北川景子さん演じるセツの実母 小泉千枝

熊本での三年間

 ハーンが熊本へ来たのは、「松江より暖かい土地へ移りたい」という健康上の理由と、「大家族を養うために高給を得たい」という経済的な理由からでした。熊本での月給は、松江の二倍にあたる200円(現在の1000万円程度)だったそうです。しかし、ハーンが西洋化の進む熊本にやって来たことは、単なる生活上の選択にとどまりませんでした。古い日本と新しい日本が移り変わる過渡期を同時に見ることができたことは、失われつつあった日本の魂を理解することにつながっていったと思います。もしハーンの『怪談』が書かれていなかったなら、私たち日本人も、本当の武士の世の中や日本人の精神を理解することはできなかったのかもしれません。

・ギリシャのハーンの生家(母ローザと2歳まで過ごした家)

タイトルとURLをコピーしました