戦後80年目(その一)

令和7年(2025)の大みそかにあたって

 令和7年(2025)は,昭和20年(1945)8月15日の終戦から80年という節目の年に当たります。そのため「戦後80年」を冠した番組や特集が数多く企画され,改めて戦争と平和について考える機会となり,私にとっても忘れがたい一年となりました。

 しかし,その番組内容の多くは,これまでのマスコミの主張と変わらぬ反日の繰り返しで真新しいものがなく,残念な思いが募りました。写真を取り換えただけの同じ記事の使いまわしで,このままであれば来年度以降もこの繰り返しなのでしょう。

 「新年の御来光」,「満開の桜と新入生」,「温暖化と厳しい暑さ」,「京都の紅葉」,「北国の厳しい寒さ」など,四季の移ろいを知らせるお馴染みの歳時記。私たちの生活にすっかり溶け込んだお決まりの風景です。季節が巡れば,ほぼ同じ言葉で,ほぼ同じ情景が語られます。
 ところが新聞紙面を見渡すと,「今年の靖国参拝」「広島の悲劇」「終戦記念日に臨んで」「戦争犯罪への謝罪を」といった記事も,まるで季節行事のように毎年同じ時期に,同じ見出しで登場します。タイトルを見ただけで,中身を読まずとも,論調や結論まで想像できてしまいます。もちろん,歴史的記憶を風化させないことや,過去の悲劇を繰り返さないための報道が重要であることは言うまでもありません。ただ,その伝え方が毎回同じ視点で定型化され,思考停止に陥っているように思います。
 こうなると,もはや新聞記者は不要で,AIで十分ではないでしょうか。過去の記事を学習させれば,同様の文章は容易に作れます。人間の記者にしかできない,本来の「考える報道」「問い直す報道」「これまでとは異なる新たな視点」とは何なのかを,真剣に問い直す価値がありそうですよ。(余計なお世話ですね…すいません。)
 まあ朝日新聞の見出しに「謝罪せよ韓国の政治家」「これが共産主義の実態だ」などの見出し記事では売れないでしょうね。仕方ないか…知らんけど…。

(1)GHQと労働組合

 戦後,GHQ(連合国軍総司令部)は日本の軍国主義的精神を排除し,民主化を推進するために労働組合を利用しました。とりわけ教員の組合「日教組」の結成を後押しし,教育面でアメリカ式の民主化を推し進めてきました。また,戦前から弾圧されていた日本共産党員を多数解放し,労働者階級が団結することで,支配者層の解体に努めました。 

 しかし冷戦など国際情勢の変化により,共産主義勢力の台頭を警戒し,政策を大きく転換しました。その結果,労働組合内部の共産主義者とたもとを分かつようになりましたが,戦後の日本の労働組合の活動と発展に大きな影響を与えたのです。ただ,終戦直後の労働組合や教育現場がアメリカの意向を強く意識していたことも否定できません。特に教育では,戦争責任を日本の軍国主義に限定し,アメリカの戦争責任や欧米の植民地政策などには踏み込まない傾向が見られ,その思想をオールドメディアが引き継いでいるのが,現在の反日と言われるゆえんだと私は思っています。植民地政策を非難すると戦前の大東亜共栄圏構想の正当化につながるからなのでしょう。

 〇〇電鉄に入った学生時代の友人から聞いた話の中で,戦後,GHQの指導(命令)の下で,民主化政策と財閥解体が同時に進められたそうです。
 〇〇電鉄でも労働組合が結成(その子会社によって状況が異なる)されましたが,当時の一般的な日本人の感覚では,労働者が経営者と対等に意見を交わす雰囲気はなかったそうです。しかし,GHQの強い指示によって労働組合活動が合法化され,多くの権利が与えられました。その結果,後に労働組合が全盛期を迎えた時に,過激ともいえる活動へと発展していった経緯があったといいます。このように,労働組合の初期の組織化段階では,GHQは絶対で西欧型の制度が日本に次々に導入されたのでした。また,私鉄の経営者側も,GHQから車両の払い下げや燃料の配給を受けていたため,その指示も事実上絶対的なものでした。その友人も労働組合に入っていましたが,「組合に入って処世術を学び人間関係を構築できない者は出世しない」と言っていました。
 身近な財閥解体での話です。私は学生時代に京王線沿いに住んでいましたが,京王線小田急電鉄京浜急行電鉄までもが,もともとは東急電鉄の一部であり,財閥解体によって分離・独立した会社であることを後になって知りました。こうした歴史を振り返ると,現代日本における国際競争力の低下の一因として,自動車産業や電機産業などへの財閥解体を含む諸施策の影響が少なからずあったのではないかと考えさせられます。

(2)義父の戦後

 大正生まれの義父は,今年生誕百年を迎える節目の年でした。義父が80歳で亡くなっていますので,今年で20回忌になります。さらに,その5か月後,私の父も亡くなりましたので,二人の父を思い返す年になりました。

 義父は大正14年8月16日生まれですから,昭和20年8月15日の終戦の日は,19歳の最後の日でしたので,玉音放送と共に戦争は終わり,翌日は二十歳の誕生日となったのです。人々が「戦後」と呼ぶ時代は,義父にとって二十歳の誕生日と同時に始まったのです。

 青春のすべてを戦争に翻弄され,希望よりも不安が支配する時代を生き抜いた末に迎えた二十歳の戦後は,決して晴れやかなものではなかったでしょう。しかし同時に,どん底からの再出発でもありました。一面焼け跡の中から始まった新しい人生には,苦労とともに未来への希望も確かにあったはずです。やがて昭和29年結婚と同時に佐世保(自衛隊)での新しい生活は,義父にとって夢と希望に満ちた,新しい幕開けだったのでしょう。

(3)日本の敗戦

 ところで,80年前の日本の敗戦の要因は,原子爆弾の投下だけではありません。ソ連の対日参戦,主要都市に対する焼夷弾攻撃,さらには海上封鎖や物資不足などによる疲弊,複合的な要因が積み重なった結果であったと言われています。終戦間近の日本はすでに制空権を完全に失い,上空からの援護もないまま,なけなしの戦力の戦艦「大和」を中心とした艦隊を前線へ送り出そうとしていました。

 しかし,肝心の燃料すら確保できない状況で下されたのは,沖縄までの片道燃料しか与えられなかったいわゆる「海上の特攻命令」でした。その最後の作戦でさえ,坊ノ岬沖海戦において無残な結末を迎えます。「大和」は圧倒的な航空攻撃の前に,あまりにもあっけなく沈みました。その戦いの中で生き残り,辛うじて帰還した義父の乗っていた「涼月」の姿は,当時の日本軍の置かれていた現実そのものを象徴していたのかもしれません。

 坊ノ岬沖で「大和」が無残に沈む光景を目の当たりにした涼月の乗組員たちは,口こそ出しませんでしたが,この戦争の無謀さを痛感していたはずです。命からがら生還した義父たちは,佐世保海軍工廠(軍需工場)近くで見た長崎原子爆弾投下,その9日後の「玉音放送」で終戦を迎えるのです。それまでに失ったものの大きさを思えば,父たち乗組員の虚脱感や絶望は,想像して余りあります。

・ 佐世保海軍工廠と終戦直後の佐世保

(4)連続テレビ小説での戦時中の扱い方

 ところで,朝の連続テレビ小説は,戦争の時代を描いた作品が非常に多いという印象を,私は長い間抱いていました。しかし,大ざっぱに数を数えてみると,半分も無かったのです。

 調べてみると,「ばけばけ」までの全113作品のうち,物語の中心として戦争期を描いている作品は44回にとどまっています。さらに,終戦直後の荒廃した社会から物語が始まる作品が7回,戦後の平和な時代を描いた作品が41回ありました。そのほか,明治期を舞台とする作品は6回で,数字の上では戦争期を扱った作品は半数にも達していませんでした。

 朝ドラは戦争情景の悲惨さを描く番組のようなイメージが強く残るのは,「あんぱん」「虎に翼」「ゲゲゲの女房」「マッサン」「カーネーション」など,戦時下の厳しさや人々の苦悩,暴力描写が多い印象が強かったからなのでしょう。

 さらに,最近の朝の連続テレビ小説は,戦後80年という節目を強く意識しているのか,日本の軍部の責任を強調する描写が目立つように感じられます。その結果,アメリカによる焼夷弾攻撃や原子爆弾投下といった,当時の国際法との関係が問われる行為については,十分な検証や批判につながっていないのではないか,という疑問も残ります。

 特に最近では,「虎に翼」などに見られるように,軍部だけでなく関東大震災での悲劇として日本人庶民の側にも責任を求める視点が強調されていました。しかし,その14年前のテロ(伊藤博文暗殺)前後から続く韓国での反日ムードや殺戮が横行していた当時の東アジアの混沌とした社会情勢を描いていませんし,日本での韓国人の横暴の噂を広めたとされる当時の新聞記事や殺害された人数の根拠なども明確にされていません。何より当時,韓国や中国で日本人も同じように殺害された悲劇があったことを伝えていません。

 そもそもこの事件は第二次世界大戦と切り離して描くべきことであり,とても日本人が作ったドラマとは思えませんでした。戦争時の異常な社会現象を見つめ直すという意図は理解できるものの,その描き方によっては,戦争犯罪の普遍的な問題を考えるというより,日本そのものを批判する反日的な内容として受け取られてしまう危うさも感じます。

 テロや重大事件にはその背景があります。その事件だけを切り取って単なる残忍な殺害事件として終わらせてはならないと,安倍元首相の暗殺の際は主張していたはずですが,今回のドラマでは一切なかったですね。

・NHKホームページより

 本来,戦争を描くことは,特定の国や立場を断罪することだけが目的ではなく,なぜその悲劇が起きたのかを宗教や国境,人種問題など多角的に問い直し,同じ過ちを繰り返さないための視点を提示することに意味があるはずです。朝ドラが持つ影響力の大きさを考えると,来年は戦後81年目に入ります。今後はより国際的でバランスの取れた戦争描写がなされることを期待したいと思います。

(5)敗戦国の責任のみ描写するドラマ

 今週放送されたNHKの朝の連続テレビ小説「ばけばけ」では,主人公・八雲が知事の娘からのプロポーズの場面で,自身の過去を告白する様子が描かれていました。八雲は,かつてアメリカ・オハイオ州において黒人女性と結婚したことで激しい差別を受けた経験を語ります。「この男はブラック(黒人)と結婚した。しかも,もっと醜いことに混血の女とだ」と非難され,当時のオハイオ州では黒人(異人種)との結婚自体が法律違法であり,混血であることは二重の違反とされ,正式な婚姻届すら受理されなかったというのです。この結婚を理由に,八雲はシンシナティの新聞社を退社せざるを得ませんでした。アメリカの人種差別は,他の西欧諸国よりも根深く,この異人種結婚を巡る裁判は1960年代まで続いていたと知って驚きました。

 また,NHKの朝ドラの中で,ここまで正面からアメリカ社会における人種差別の実態が描かれたことに,正直なところ強い驚きを覚えました。これまでの朝ドラでは,戦時中の空襲や焼夷弾爆撃から逃げ惑う情景は描かれてきましたが,ドラマの中で,アメリカの責任や問題性が真正面から深く論じられることは,余りなかったと記憶しています。

 むしろ,描写の多くは日本の軍部の責任追及に終始し,一般市民を無差別に標的とした焼夷弾攻撃や原爆投下といった,明確な国際法違反行為について,アメリカ側の責任が問われることは避けられてきました。先の大戦が,アメリカの植民地主義的政策覇権拡大の一環として進められた側面に触れることは,「都合が悪かった」と指摘する専門家も少なくありません。

 今回の「ばけばけ」で描かれたアメリカ社会の人種差別など,日本で「これまで余り語られてこなかった歴史」に光を当てることは,ごく自然なことだと思います。日本の過ちを直視すると共に,敗戦国とい立場の下に,これまとで意図的或いは無意識のうちに回避されてきた他国の戦争責任についても,公平な視点を向ける姿勢こそが,真に「二度と戦争を起こさない」ための成熟したメディアのあるべき姿ではないでしょうか。

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