教員は分類上ではサービス業

年度当初の各種調査資料

 学校の年度当初に行われる各種調査資料の多さには,正直なところ驚かされました。単に数が多いというだけでなく,その一つ一つが簡単にはまとめられないものばかりだったからです。子どもたちに関する内容は担任を通して家庭への文書で調査し,地域に関することは実際に地域へ足を運ばなければ把握できません。国や県への報告書を仕上げるためには,綿密な調査が不可欠でした。

 私が初任の教頭として赴任した当時は,初めて目にする提出物も非常に多く,戸惑うことの連続でした。授業内容や担任業務であれば,学校が変わってもある程度の見通しは立ちます。しかし,新任教頭という立場では,新しい学校のことがまったく分かりません。職員のことも,子どもたちのことも,地域の実情も,すべてが未知の世界でした。要領を得ないまま,ただひたすら調べる日々が続いていたことを思い出します。

 二年目以降になると,年度当初の動きがある程度予測できるようになり,事前に準備を進めることで心にも時間にも余裕が生まれました。しかし,担任時代には想像もしなかった業務ばかりで,改めて教頭職の大変さを実感しました。

 さらに,宛て職の校区公民館(副会長兼主事)の年度初めの業務とも重なり,状況は一層混乱しました。夜に仕事を進めようと考えていても,学校関係だけでなく,校区,教育委員会,教頭会,PTA,地域,町内会,少年団,校区公民館関連団体などの懇親会が次々と計画され,予定は容赦なく埋まっていきます。一週間連続で歓迎会が続くこともあり,とても落ち着いて仕事ができる状況ではありませんでした。

 締め切りを忘れないよう黒板に書き出してはいましたが,それでも何度も催促の電話を受けることになりました。今振り返ってみても,あの年度当初は,まさに目の前のことに必死で向き合っていた時期だったと感じています。締切日は何故かゴールデンウイーク後に設定してあり,連休なのに本当にゆっくり休めませんでした

宛て職の公民館主事

 学校の入学式の一週間後に校区公民館の「総会」と「転入職員歓迎会」が開かれました。招待者は学校職員だけでなく,駐在所の警察官も夫婦同伴で出席するものでした。私は公民館主事を兼務していたため,妻も役員の奥さん方とともに,朝から料理の準備に加わりました。
 まず総会において,前年度の決算報告に続き,新年度の事業計画と予算案の提案・説明を行いました。校区公民館の予算は比較的大きく,例年異議が多く出て議論が紛糾するとのことでしたが,その日も結構な意見が飛び交っていました。
 総会が終わると,間を置かず夕方からの転入職員歓迎会の準備に取りかかりました。本来は歓迎される立場でありながら,会場周辺の清掃,会場設営,横断幕や式次第,招待者名札,記念品の準備まで,担当していました。
 受付業務を行いながら,総会に出ない地区役員への手当の支払いなどの雑務も重なり,開演直前まで分刻みの慌ただしい状況が続いていました。開宴と同時にようやく招待者席に着き,ここから少しだけ歓迎される立場になります。
 宴が終わればまた後片付けがあり,その後も二次会(公民館長宅),三次会(公民館主事の教頭住宅)の準備と続きます。校区内に飲み屋がないことから,この会場も例年決まっていました。妻はそこの準備の手伝いと教頭住宅での三次会での準備に走ります。教頭住宅で全員が帰宅するのは,日付が変わってからでした。一体誰の歓迎会なのか分からぬまま,まさに一日がかりの行事でした。
 このような日々が一か月ほど続いたある日,一本の電話がありました。「〇〇集落の街灯が何カ月も切れているので,早く取り換えて欲しい」との内容でした。これも公民館主事の仕事内容だと知らされると,何回かハシゴを車に積み込んで取り換えに行きました。流石に公民館長に是正を求め,各集落会長に割り振ることに変更してもらいました。今振り返ると,教員という仕事は教育にとどまらず,地域に深く関わる「サービス業」でもあったのだと,あらためて実感します。

年度当初の各種調査内容について

・ 教員は校区内に住むべき
 かつて鹿児島県では,教員は夫婦そろって地元に住むのが常識とされていました。市町村立の公立学校に勤務する以上,その市町村内に居住すること自体は理解できますが,当時はさらに「校区内に住むべき」という考え方が強く求められていました。
 その背景には,昭和の時代までは多くの学校の近くに教職員住宅が整備されていたことがあったようです。学校のすぐそばに住むことで,地域との結びつきを深め,緊急時にも迅速に対応できるということが重視されていたのでしょう。そして校区の住民になって初めて,地域社会の一員として認められると考えられていた時代でもありました。
 しかし平成に入ると,教職員住宅は経費削減などを理由に次々と廃止され,現在では校長・教頭住宅を除いてほとんど残っていません。それでもなお,校区内には空き家が存在することから,「そこに住んでほしい」という地元の声が大きかったのです。時代とともに若い世代の働き方や生活環境が変化する中で,居住地に対する考え方もまた,少しずつ変わってきました。 
・ 単身赴任調査
 このような地元の人たちの強い要望を背景に,年度当初に管理職が転入職員の「単身赴任調査」や「管理職の配偶者の仕事調べ」などを行っていました。そして指導の状況や結果を教育委員会に報告することも行われていました。離島が多い鹿児島ならではのことで,今では法令違反のようなことが常習化していたのです。現在ではかなり緩やかになってきたとはいえ,離島や僻地では,今なおその傾向が色濃く残っています。
 特に管理職になるためには,夫婦同伴で赴任することが大きな暗黙の条件でした。小さな集落では,管理職本人だけでなく,その配偶者にも役割が期待されます。私が初任教頭として赴任した学校でも,その現実を強く実感しました。

日本標準職業分類(抄)

 私は教頭になるまで,教員の仕事は教育公務員であり,いわゆる公務員の職務だと考えていました。そのため,教員の仕事に「サービス業」という側面があるとは,ほとんど意識していませんでした。ちなみに公務員とは県庁や市町村役場の職員となっていました。

 ところが,教頭として学校基本調査などの各種報告を行う中で,「日本標準職業分類(抄)各種業種」において,教員が「サービス業」に分類されていることを知り,釈然としなかったことを覚えています。

 そこで,寺子屋や明治初期の学校の成り立ちを調べていくと,その背景として理解できる部分もありましたが,それでもなお,実際に記入する際には違和感が残りました。

 一般に,サービス業は顧客の要求に応じて特定のサービスを提供することを目的としています。しかし,教員の仕事は,生徒一人一人の可能性を引き出すために,専門的な指導に基づいて教育を行うことです。顧客の要望をそのまま満たすことが教育の本質ではなく,むしろ専門性に裏付けられた指導こそが求められます。この点において,教員の仕事は,単なるサービス業という枠には収まりきらない,公的責任と専門性を併せ持つ職務であると感じています。

 その後,平成14年に行われた第11回の分類改訂により,新たに「教育・学習支援業」が設けられ,その中に「学校教育」という分類が加わりました。この改訂からようやく教員の業種は「学校教育」と位置づけられるようになりました。

 それ以降,学校基本調査では,大分類「O」の「教育・学習支援業」の中の「76学校教育」として記入するようになりました。制度の見直しを通して,教育の公共性や専門性が,社会的にも改めて位置づけられていったのでした。

※ 第10回標準分類での教員の位置づけは,大分類L「サービス業」の中分類「91教育」でしたが,第11回改訂でO「教育・学習支援業」の「76学校教育」に分類されました。

学校のルーツ

 日本の学校のルーツをたどると,大きく二つの流れがあるようです。一つは,江戸時代の寺子屋にみれる,地域住民の運営と支援によって成り立っていた教育です。そこには,地域に根ざし,子どもや保護者の求めに応える「サービス業的」な要素がありました。

 もう一つは,明治期にフランスやドイツを手本として導入された,西洋型の学校制度です。これは,教会や国家と結びつきながら発展したもので,国民を育成することを目的とし,統一されたカリキュラムと専門性を備えた教員による指導を特徴としています。

 このように日本の教育は,地域と生活に根ざした伝統と,国家主導の学校制度とを融合させながら発展してきました。そのため,教員の役割には,高い専門性と同時に,地域や家庭に寄り添う「サービス業的側面」が今も色濃く残っているのだと言えるでしょう。

公共サービス

 教員は,税金によって公共サービスを担う立場にある以上,広い意味ではサービス業であると言えるでしょう。しかし,その内容は民間のサービス業が顧客の要望に応じてサービスを提供する仕事とは明らかに異なります。教員には,将来の日本を担う子どもたちを育てるという重要な使命があるからです。

 新任教頭時代,若手職員から「なぜ,ここまでしなければならないのですか」と言い寄られてたことがありました。そのたびに私は,「教員はサービス業ですよ」と答えて,嫌われていました。

 教育には,子ども一人一人の能力を引き出し,伸ばしていくための専門性と,それに裏付けられた確かな技術が求められます。単なる要望への対応ではなく,子どもの成長を見据えた判断と実践が不可欠です。教員は,公的な役割を担いながら,子どもたちの成長を支える存在です。その意味で,教育公務員としての責任と誇りを持つ仕事であると感じています。

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