新上橋の想いで(甲突川五石橋)【R5】12月4号

小野石・河頭石

 甲突川には新上橋や西田橋など石橋(五石橋)が架かっていました。上流の玉江橋,新上橋,西田橋の三つの石材が主に小野石だったそうです。小野石は加久藤火砕流の堆積物(約30万年前)で,河頭石は加久藤火砕流や一部花野火砕流堆積物(約70万年前)ということです。小野石は,柔らかく加工しやすく,丈夫な溶結凝灰岩で石橋に一番多く使われていたそうです。小野高山地区で石材を切り出し,幸加木川・甲突川を川船で現場に運んでいました。

 子どもの頃の甲突川は,お世辞にも綺麗とは言えない川でした。でんぷん工場からの排水が流れ込み,汚物が水草に絡まっていたのを覚えています。また,西田本通り沿いの黒田川(石井手用水の落しで現在は暗渠)では、近所のお母さんたちがその日の生ごみを捨て,辺りには悪臭が漂っていました。西田橋や新上橋の下は,魚取りや川遊びが楽しめる場所で、多くの子どもたちが集まる憩いの場の一つでした。その後,玉里団地の造成が進む中,山を削った土砂を与次郎の埋立地に運ぶため,大きな赤茶けたパイプが設置されました。

 そう言えば,私がよく渡っていた新上橋は思い出深い橋ですが,今では石橋公園にもなく,調べてみると残骸は護岸工事の石材として埋められたそうで,今では見ることすら叶いません。災害後しばらく,両端の部分はきれいに残っていましたので,せめて残っていた部分だけでも石橋公園に展示して欲しかったですね。歴史的建造物(石橋)として,撤去移設に大きな反対運動もあったわけですから…。

◆「千年以上にわたるヨーロッパの石造建築物が世界遺産の基準の根底にあるとされる中,平成21年にはユネスコ世界遺産委員会が,現在ドイツのドレスデンで建設が進む新しい橋が景観を破壊するとして,文化遺産エルベ渓谷を世界遺産リストから抹消する決定を下しました。一つの橋の建設により,世界遺産登録が取り消されるというニュースは大きな衝撃を与えました。
  一方で,鹿児島県は「屋久島」,「奄美大島、徳之島」,「明治日本の産業革命遺産」の三つの世界遺産・世界自然遺産を有する唯一の都道府県として知られています。今後,奄美や徳之島において埋立開発などが進むことがあるとすれば,同様の懸念が生じる可能性があります。このような事態を避けるためには,鹿児島県の行政の担当者が過去の反省に立ち再度熟慮し,適切な対策を講じてほしいと思います。新上橋のような貴重な遺産が二度と産業廃棄物如きに処分されるようなことなく,持続可能な開発が進められるよう期待しています。

五石橋を造った岩永三五郎

 肥後の名石工,岩永三五郎はその技術が高く評価され,薩摩に招かれて甲突川五石橋の建設に携わりました。鹿児島には小野石をはじめ,石橋に適した石が多く取れました。

・嘉永4年10月5日没と刻まれた三五郎の墓

 先日我が家の近くで下水工事があり,石井手用水の護岸に使用されていた石材が出てきました。(工事の方は気づいていなかったでしょうが)この歴史ある石材も掘り出された残骸と一緒に産業廃棄物として捨てられる運命なのでしょうね。知恵を絞れば観光資源になるのに…。ヨーロッパの石造りの街並みは何百年の間,形を変えずに残っていることを考えると文化財を後世まで残すことは日本人には難しいことなのでしょうか。

・石切り場の墓

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