方言周圏論(だんだんとオカベ)《R6》2月9号

オカベについて

 かつて宴会で豆腐料理がでたとき,枕崎出身の友人と方言のオカベで議論になったことがありました。オカベは,枕崎の方言で豆腐を指す言葉だと主張していました。しかし,私が長崎や京都にも残っている昔の京言葉で,御所の御壁(おかべ)から派生した言葉であると説明しましたが,納得していない様子でした。確かにオカベ自体地味な方言で,鹿児島でも南薩など一部の限られた地域にしか残っていません。これは美味しい食べ物で直ぐに正式な名の豆腐と共に全国に急速に広がったからでしょう。

 豆腐は,煮た大豆の搾り汁をにがり等によって固めた加工食品であり,中国から遣唐使によって奈良の都に伝えられたようです。その後,京都遷都によって豆腐文化と共に少しずつ寺院等に広がったとする説が有力です。元々は宮中料理の食材でしたが,精進料理として鎌倉時代末期頃には女官たちの手で市中に伝わり,室町時代には日本各地へ広がりました。女官たちが,豆腐の見た目が御所の白い壁に似ていたことから,洒落で「御壁(おかべ)」という名前が使われました。

 美味しいので人々が品の名を尋ねると,女官たちから聞いた「オカベ」という言葉が広まったようです。この言葉は,豆腐の伝来と共に長い時間を経て全国に広まっていきました。他の地域が豆腐という新しい名に変わっても,京都からはるか遠い枕崎では愛着のあるこの名が定着したということです。

だんだんについて

 北薩のある学校で正門周りを掃除していた時の出来事です。通りがかった高齢者が「だんだんね,だんだんね」と頭を下げながら通っていきました。私はその瞬間,戸惑いました。私は「だんだん」が何を意味するのか分からず,「そんなに頑張らなくても、少しずつでいいですよ」という様な意味かと思ったからです。しかし,後に同僚に話すと彼の実家(阿久根)でも同じように「ありがとう」の意味の方言であることを知りました。つまり、「いつも学校を綺麗にしてくれてありがとうございます。」という意味だったのです。方言を知らないとコミュニケーションが成立しないものですね。

 NHKの朝の連続ドラマ「だんだん」の放送により,『ありがとう』の意味である「だんだん」が長島や一部の熊本地方の方言だけでなく,出雲地方や愛媛県,愛知県でも使われていることを知りました。これは,昔の京言葉が長い年月をかけて広まっていったものなのです。

 元々「有り難う」とは,「おおきに だんだん ありがとう」と一つのつながった言葉として,京都の遊郭でお客を送り出す時に使われていたと言われています。その意味は,「大いに、重ね重ね、有難い」というもので,「ありがとう」単独では使われませんでした。

 まず京に近い大阪や関西地方で,「おおきに」が独立し使われるようになりました。その後,「だんだん」が取り入れられ,出雲や四国,九州地方などに残るようになりました。時代が流れ,感謝を表す言葉として仏教用語で「稀で、滅多にないこと」の意味の「ありがたい」が独立し,仏教の教えと共に全国に広まりました。「おおきに」は簡潔で,関西の忙しい商売人には使いやすかったのでしょうね。県内でも関西で仕事をしていた人たちが帰郷して広めた方言として残っています。

方言周圏論について

 学生時代の蔵書に,「蝸牛考」(方言周圏論)という書籍があります。その内容は柳田國男が提唱した考え方で,方言などは京都や大阪などの文化的中心地から同心円状に広がって伝わっていくものであるとされています。今の時代,SNS等の普及で,新しい言葉があっと言う間に全国に広がります。当時の言葉は,「だんだん」や「おかべ」のように長い時間をかけ村から村へと少しずつ広がっていき,その土地に方言として定着していったのでしょう。

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