正岡子規が主人公の一人として登場する司馬遼太郎作の歴史小説『坂の上の雲』が,テレビで再放送されています。その冒頭の「登っていく坂の上の青い天に,もし一朶の白い雲がかがやいているとしたら,それのみを見つめて坂を登っていくであろう」という有名なフレーズで毎回放送されます。
新しい明治の時代に,俳諧という広い空の中に輝いている一筋の雲(俳句も…ちょっと強引,笑い)を見つめて突き進んだ子規。これまでも芭蕉や一茶らの先人たちが挑んできた新しい俳風の扉を,明治という激動の時代が子規を突き動かしたのでしょう。
俳句の中興の祖,正岡子規
子規は,俳句や短歌といった日本の古典的な短詩型に新風を吹き込み,中興の祖とされる俳人で,国語の教科書にも頻繁に登場します。特に国語の授業では,俳句を教える際に欠かせない存在で,授業で何度も取り上げたのが松尾芭蕉と正岡子規でした。子規は,「俳句」を一般に広め,日本を代表する文芸として定着させた人物です。小学校の教科書では俳句が「世界一短い詩」として扱われています。
俳句の授業で
高学年の俳句指導の導入で,私が必ず行ってきたのは,松尾芭蕉の「古池や 蛙飛びこむ 水の音」と正岡子規の「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」を並べて,それぞれの意味を解説し,感想を発表し合うことでした。その際,私自身が小学生の頃にこれらの俳句を学び,「池に蛙が飛び込んだら水の音がするのは当たり前だ」,「柿を食べていると鐘が鳴っただけで,別に法隆寺でなくてもいいのでは」と感じ,この俳句の良さが余り分からなかったというエピソードを伝えます。
すると,子どもたちは高学年らしい多様な意見を出し合う中で,自分なりの「俳句観」を既に持っていることに気づき始めます。その後,これらの俳句が文学史上どのような意義や価値を持っているのかを説明し,改めて感想を求めると,より深く俳句の世界に入り込んだ意見が次々と飛び出してきます。このようにして,子どもたちが俳句への興味を深めていったように記憶しています。
その後は俳句の技法を学び,自分たちで句を作る活動へと進みます。教科書に記された俳句の作り方を参考にしながら,5・7・5の17音という限られた音数で表現する練習を行います。その際「字余り」を禁止することで,子どもたちは指を折りながら表現方法を工夫するようになります。
具体的には,一斉指導の中で「春先の野山の青い虫」「入道雲と通り雨」「学校帰りの秋の夕暮れ」「初冠雪とマフラー」など,季節感のあるテーマを与えます。次に子どもたちにテーマから思い浮かぶ言葉を自由に書き出させ,それを整理して不要な要素を取り除きながら俳句に仕上げていきます。この過程で,「季語を入れる」「感動を誇張しすぎない」「字余りを避ける」などの基本ルールを教えるとともに,「体言止め」や「倒置法」の活用,動詞や助詞の選び方についても検討させ,余韻のある作品を目指します。
また,国語の時間だけでなく,年間を通じて子どもたちから俳句を募集する取り組みも行いました。例えば,日記帳の漢字欄に俳句を書いてもよいことにし,完成した作品を教室の「俳句コーナー」に掲示しました。この活動を1年間続けることで,年度末には驚くほど完成度の高い俳句が生まれるようになり,子どもたちの成長を感じることができます。
法隆寺を詠んだ正岡子規

・茶屋横の石碑
「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」~この俳句の舞台となった法隆寺を,二年前に初めて訪れました。子規が法隆寺に立ち寄った際,「茶店で一服しながら柿を食べていると,法隆寺の鐘が鳴り,その音に秋を感じた情景が,この俳句に詠まれた」と言うエピソードを聞いたことがあり,是非行ってみたかったからです。

・梵鐘の建物
その俳句が刻まれた石碑を探しましたが見つからず,近くにいた地元の方に尋ねると,わざわざ石碑まで連れて行ってもらいました。その際,私たちが鹿児島から訪れたことを話すと,その方は奄美大島のご出身であることを教えてくださいました。

・悠久の歴史にたたずむ法隆寺
戦後奄美から関西に「食糧難と仕事探し」のために移住
戦後間もない頃,沖縄がアメリカ統治下に置かれる直前,沖縄で働いていた奄美の人たちが追い出されたことがあります(公職追放)。仕方なく,親戚を頼って鹿児島や大阪へ移住する人たちが多かったそうです。しかし,当時の大阪はすでに西日本各地から「食糧難と仕事探し」のために移住者で溢れ,やむを得ず奈良,和歌山,兵庫など隣県に移り住む鹿児島県人も少なくなかったとのことです。
その方の家族も戦後に大阪を経て斑鳩の里を訪れ,この地の魅力に惹かれて定住されたそうです。その方はそれ以来,奄美に帰っていないとのことでした。ふるさとを追われるように辿り着いたこの地が「本当の故郷」であると言っていましたが,奄美への郷愁の思いも募っている様でした。この話に接し,法隆寺だけでなくその周辺の歴史や人々の物語にも思いを馳せる機会となりました。その日は,その方が法隆寺の内外を,時間をかけ案内してくださいましたが,目的の梵鐘の場所が閉まっていたのは残念でした。それでも,数多くの国宝(玉虫厨子や仏像)などを鑑賞し,聖徳太子に関する詳しい説明を伺えたのは大変貴重な体験でした。日本最古の木造建築から伝わってくる温かさや歴史の深さ,人情を感じさせる場所でもありました。

・法隆寺の五重塔
奈良県は奈良公園や吉野山をはじめ紅葉の美しい所でも有名です。また子規の句にも奈良県ではないのかもしれませんが,紅葉を詠んだものがあります。
➀『 古寺に 灯のともりたる 紅葉かな 』~古寺の灯篭に明かりが灯り,その光で紅葉が浮かび上がっているよ。
②『 千山の 紅葉一すぢの 流れ哉 』~山々の中で紅葉が一筋の川の流れのように見えています。
※ 次回は県内の紅葉について投稿します。
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