朝ドラ「風,薫る」NO・1

 今回の連続テレビ小説「風,薫る」は,日本で「看護」という職業がまだ確立していなかった明治時代を舞台に,その道を切り拓いた一ノ瀬りん(大関和)と大家直美(鈴木雅)の歩みを描いた物語です。そして二人は同じ看護婦養成所で学び,苦楽をともにしながら,ともに卒業を迎える仲間となっていきます。

 また大山巌と妻の捨松も登場するなど薩摩閥にも少し関りがあるようです。大山捨松は看護学校の設立や女性看護職の普及を後押しし,近代日本の看護制度の礎づくりに大きく貢献しました。英語力を備えていた二人は,やがて大山捨松をはじめとする上流階級の人々と交流を深めていきます。明治という激動の時代,この三人の人間模様がどのように展開していくのか楽しみです。

・大山巌と捨松

朝ドラ「風,薫る」

 連続テレビ小説「風,薫る」では,りんの父・信右衛門がコロリに感染し,家族を守るため避病院へ向かおうとしたが,費用がなく屋敷の離れで孤独のうちに最期を迎える場面が描かれていました。感染を示す「黄色い札」によって一家が村八分となる様子とあわせ,当時の感染症がもたらした社会的孤立の厳しさを強く描いていました。 

・NHKホームページより

 父・信右衛門を演じた北村一輝氏の存在感ある名演が好きでもう少し見たかった」ので残念でした。明治維新という新しい時代に翻弄される父親の苦悩や覚悟が伝わってきました。幕末から維新にかけて,職を失った武士たちの姿に焦点を当てた作品は意外と少ないのです。このドラマでその背景をもう一歩踏み込んで欲しかったという思いが残りました。

 そして何より,すぐ傍にいる家族の最期に立ち会えない無念さと,感染症が家族のつながりを断ち切ってしまう残酷な現実は,胸に迫りました。

コロナ対応での検証を

 このドラマのシーンを見るたびに,数年前のコロナ禍の日々を思い出します。現職時代,私たち夫婦が大変お世話になった方が感染され,病院で亡くなられました。知らせを受け直ぐに向かおうとしましたが,私たちが奥様に面会することも,病院に伺うことさえ許されませんでした。奥様や家族ですら最期のお別れがかなわなかったと伺い,深い無念さを覚えたものです。こうした事例は当時,全国各地で報じられていました。

 当時は感染拡大の防止からやむを得ない措置と受け止められていましたが,今振り返れば,その対応が本当に適切であったのか,科学的な検証が必要だと思います。例えば,ガラス越しの面会など,感染リスクを抑えた最後の別れすら出来なかったのかその他の方法はなかったのか,検討の余地はあったはずです。

介護上の説明責任

 また,医療や介護の現場で利用者への情報共有や説明不足は,少なからず存在しているように感じます。

 私自身,父の介護中に,リハビリ中の転倒について事前に知らされていなかった経験があります。あまりに突然容体が変わったため問いただしたところ,介護側の不注意による転倒であったことが後になって明らかになりました。

 また同じ頃,親戚が亡くなり通夜の場で聞いた話です。施設から遺体を引き取りにきた葬儀社の方から「入れ歯の変形や手の届かない場所に不審なあざが多い」と指摘されたそうです。しかし,病院から十分な説明がなされることはなかったそうです。このような事例は,決して一部の特殊なケースにとどまらないのではないかと思われます。にもかかわらず,医療や介護の世界に関わる問題については,メディア報道を含め,十分な検証が行われているとは言い難いのが現状です

 コロナ対応には莫大な公的資金が投入されましたが,その医療処置や政策判断が妥当だったのかを検証することは不可欠だと思います。何が適切で何がそうでなかったのかを振り返らなければ,次に生かすことはできません。

 また,その検証を医療界や関係機関の内部だけに委ねるのではなく,第三者による客観的で透明性のある評価と説明が求められます。多くの国で独立した検証や公的レビューが行われているように,対応の過程を見直すことは重要です。

 こうした取り組みが不十分であれば,将来のパンデミックでも前回と同様の対応が繰り返される恐れがあります。過去を冷静に振り返り,教訓を将来に生かすことが,同じ事態を防ぐための現実的な道筋ではないでしょうか。

悪瘡(アクソウ)とは

 ドラマで,りんの父・信右衛門がコロリ(コレラ)に感染し,屋敷の離れで亡くなる場面が描かれていました。明治期の感染症の致死率は高く,ひとたび発生すれば家族全員が村八分のような扱いを受けることも珍しくなかったといいます。そうした実情は,本県の郷土誌にも数多く記されています。

 以前このブログでも紹介しましたが,本県の離島や海岸地帯には「アクソウヒラ」や「アクソウ海岸」といった地名が残っています。これは疱瘡(ほうそう)や痘瘡(とうそう)の別称で,地域によっては「悪瘡(アクソウ)」と呼ばれ,人々に恐れられていた病でした。

 当時は感染を防ぐため,沖の小島や岬の外れに患者を隔離し,食事や水を届けるという方法がとられていたようです。亡くなった場合には狼煙で合図し,その近くに埋葬していたとも伝えられています。

 明治期になると避病院などの隔離施設が整えられていきますが,幕末にはすでにワクチンが存在していたにもかかわらず,まだ広く普及しているとは言えない状況でした。そのため,ドラマなどで描かれるようなお札やお守りが,病を防ぐ手段として信じられていたのです。

 やがて各地で種痘(予防接種)の効果が広く知られるようになると,人々の理解と信頼も徐々に広がっていきました。そして最終的には,この予防法が多くの命を感染症から救うことにつながったのです。

隔離病院

 朝ドラ「風,薫る」で描かれていた避病院とは,伝染病専門の隔離施設です。鹿児島市でも明治26年に天保山に設置され,その後,明治43年に薬師町へ移転し城西病院(尾畔)と呼ばれていました。この病院は昭和40年代まで診療しており,誰かが入院する際には車が3〜4台並び,看護婦や医師たちが出迎える光景を,何度か目にした記憶があります。

 やがて周囲が住宅街へと変わるにつれて病院は廃止され,その跡地はグラウンドゴルフ場として利用されるようになりました。そして現在では,すっかり住宅地になっています。

 もともとは伝染病の隔離病院という施設でしたが,広場もあり,当時から私たちにとっては身近な遊び場でもありました。現在は伝染病専用の「隔離病院」はみかけませんが,現在本県は,離島を含め地域ごとに「指定感染症医療機関」があるようです。

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