論語の「子のたまわく」と「子いわく」
前回の投稿の続きです。
先週の「風,薫る」を見ていて,印象に残った場面がありました。父・信右衛門がりんに『論語』を教える場面です。「子のたまわく,過ちて改めざる,これこそ過ち」という言葉に続いて,「人は間違える。だが,過ちに気づいても改めないことこそが本当の過ちである」と意味を説明していました。そして,りんが「(りんの幼なじみ虎太郎のことを思い)間違えた。やっぱり私,手を握ればよかった」と応えたのです。この流れが,論語の教えと登場人物の心情をうまく重ねていて,とても印象的でした。

ところで,この「子のたまわく」という言い回しに,私は少し新鮮さを覚えました。昭和世代の私たちは,「子いわく」と習ってきていて,教員になってからもそのように教えてきました。「孔子様がおっしゃることには」というニュアンスだと思いますが,後に続く本文はそれほど丁寧でもないので,少しちぐはぐな感じもします。

「のたまわく」とすると,たしかに古風で格調高い響きに感じられるのかもしれません。最近のテレビドラマでは,(何か意図があるのか)このようなやや硬い表現が選ばれることが増えているように感じます。「のたまう」は「言う」の尊敬語です。特に江戸時代は幕府の学問として,孔子は長く聖人として位置づけられてきたため,伝統的には敬意を込めて「子曰く」を「し,のたまわく」と読んできたようです。「子曰く」は,『論語』の各章句の冒頭に置かれる決まり文句です。一方で,孔子を特別に聖人視せず,『論語』を文献資料として読む立場からは,「し,いわく」と読んでいた学問所もあったとのことです。

ただ,少なくとも昭和の戦時中を描いた場面では,「いわく」が一般的だった印象がありますが,「のたまう」には少し違和感があります。言葉の選び方は些細な違いのようでいて,受け手の印象を大きく左右します。今回の「師のたまわく」という表現も,時代の雰囲気をより際立たせる効果があったのかもしれません。ドラマでの時代考証の難しさを感じさせられる一場面でした。
漢文そのものには複雑な敬語表現がないため,「曰」は相手に関係なく同じ形で書かれます。しかし日本語には敬語体系があるため,「のたまわく」と読むか「いわく」と読むかによって,読み手の価値観や解釈が自然と表れることになります。同じ一字でも,読み方ひとつで距離感や姿勢がにじむところに,日本語で漢文を読む面白さがあるのかもしれません。その昔,漢文を庶民の学問まで広めた桂庵禅師は,「漢文は中国語でそのまま読まないと意味がないので漢字を省略するな」との記録が残っていますが,文法が異なる日本語で理解できる訓読法を作り出しました。
学僧の学問から庶民の手習いに
『論語』が日本に伝わったのは,かなり古い時代にさかのぼります。奈良時代から中世にかけては,貴族や僧侶の学問として受け入れられ,主に上層階級の教養として学ばれていました。とくに京都五山の僧侶たちは訓読法を取り入れ,その理解と普及を大きく進めたといえます。
その後,一般の人々にも広く学問として定着したのは江戸時代に入ってからです。幕府は朱子学(その中心が『論語』)を公式の学問として採用し,武士の教養や統治の理論として重視しました。上下関係や秩序を重んじる朱子学の考え方は,当時の身分制度や主従関係を支えるうえで都合がよかったためです。

また,日本では「子のたまわく」という表現に象徴されるように,孔子がやや神格化されて受け止められる傾向も,主に江戸期以降に強まったと考えられます。一方で中国においては,孔子の教えはあくまで古典・教養・哲学として扱われており,日常的な丁寧語として用いられることは基本的にありません。このように,『論語』は時代や地域によって受け止められ方を変えながら,日本社会の中で独自の広がりを築いてきたのです。
明治時代,文部省が漢文訓読の統一的な指針を定めたことにより,それまで一般的だった「し,のたまわく」という読み方は,「し,いわく」へと次第に改められていきました。

明治45年3月29日の官報には,「敬語ニハ左ノ語ヲ用フ。但敬語ハ叙言叙事ニ論無ク,我ガ帝室ニ関スル場合ノ外ニハ之ヲ用ヒサルモノトス」とあり,つまり「敬語には次の語を用いる。ただし敬語は,叙述や叙事においては,わが国の皇室に関する場合を除いては,これを用いないものとする。」として「皇室に関すること以外に敬語を使わない」ように通知したことによるようです。つまり,孔子の言葉であっても,原則として敬語を用いない方向が打ち出されたわけです。
もっとも,この方針の背景には,単に皇室との区別という考え方だけでなく,教育現場における読み方のばらつきを是正したいという事情が大きかったのです。当時は帝国大学の入試などを見据え,全国で指導内容を統一する必要性が強く意識されていたのです。したがって,この問題は皇室に関する敬語の扱いとは切り分けて,教育上の統一という観点から理解するのが適切だといえるでしょう。
テレビドラマの時代考証
ドラマの時代考証は,描かれる歴史的内容が当時の史実や社会情勢,生活文化にどの程度即しているかを,専門家が資料に基づいて検証や修正の提案を行っているそうです。年号や出来事にとどまらず,政治・社会情勢,時代背景,衣食住,文化・風俗,言葉遣いにまで及びます。特に歴史作品では,時代の背景や社会的要請まで踏まえて伝えることが重要であると考えられます。

一方で,テレビドラマでは作品としての面白さとのバランスが求められるため,時代考証には一定の傾向と限界があります。昭和期の大河ドラマでは作家が史料を丹念に研究する姿勢が見られましたが,特に最近の思想や娯楽性などが重視される傾向があり,有名な歴史学者であっても制作側の意向に添うことが多いのでしょう。
朝ドラのシーンでの「のたまう」と「いわく」で感じことを述べてみました。
