桜島と牛根の埋没鳥居(1)

 世界的なプレートを有する火山列島日本は,大地震が頻発する国です。また,ある周期や法則性で災害が発生していることも周知の事実です。多くの人が住む鹿児島市に至っては全国有数のカルデラや桜島を擁することから,他の地域よりも災害について常に考えておくべきです。その一方,県内には埋没鳥居や火砕流,降石灰の痕跡が数多く残っています。これらを教訓として受け止め,地域ごとに防災対する備えや訓練を具体的に進めておくべきでしょう。(実際行っているようですが,災害は忘れた頃にやってくるとも言います。…)  

腹五社神社の祭神

 桜島の黒神中学校横に「埋没鳥居」で有名な腹五社神社があります。鹿児島県神社庁に腹五社神社の祭神が記されています。 

①月讀命(ツキヨミノミコト)
②瓊々杵尊(ニニギノミコト)
③彦火々出見命(ヒコホホデミノミコト)
④鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)
⑤須佐之男命(スサノオニミコト)
※ なお,一説には瓊々杵命のかわりに木花開耶姫を御祭神とするともいう。
(★この祭神表記の仕方が不自然で,後に付け加えられた可能性が考えられます。)
※ この神社の祭神については,古い資料に但し書き(木花開耶姫)のないものも存在しています。

 この祭神を見る限り,九州地方に多い五社や十五社などのいわゆる合祀神社ではないことが分かります。この祭神のいわれが,天孫降臨の段階における神話の一部で,日本神話の基本が日本列島誕生にまつわる火山神話であると考えると,姶良カルデラの端から桜島が誕生していく様はまさに神話と重なっていると言えます。(実際の神話の場所とは異なりますが…)

 単に天孫降臨に関わる祭神であれば,吾平や可愛などに関連する末社系統の社名でも十分であり,「五社」という特殊な社名にする必要性は無かったのではないでしょうか。

 この点について思い浮かぶのが,天草・宇土地方(長島町を含む)に多い十五社の由来です。天草の十五柱とは,天照大神と阿蘇12柱の13神に加え,その地域に身近な2つの神を祀っています。これは珍しい合祀の方法であり,天草地方や宇土半島に多く見られます。

火山被害の地(雲仙天草と桜島)

 天草・宇土地方は,阿蘇山だけでなく,雲仙普賢岳の近くでもあるのです。特に宇土半島は,雲仙普賢岳と阿蘇山の中間に位置し,火口から30~40キロ圏内にあります。この地域は古くから火山活動によって甚大な被害を受けてきた場所です。そのため,火山に対する畏敬の念が,阿蘇神社の健磐龍命に対する崇敬の対象として,参拝や祈祷が行われる要因の一つとなってきました。

 同じように桜島についても,火山の被害を減らし,神々のご加護を得るためにも,火山の神様を祀る神社が数多く造られ,祈りが捧げられてきたのでしょう。これは,古くから日本人が自然を崇敬し,神社で願いを叶えようとしてきたことにも繋がります。或いは神頼みしか出来なかったとも言えるのです。

 ・埋没鳥居

 

祭神に木花開耶姫が付け加えられた理由について

 古くから,桜島は大隅国であり,島名も鹿児島神宮の向かいにある島で「向島」と呼ばれていました。室町時代,城山を拠点とし島津氏に追われた上山氏が桜島を一時期統治していたそうですが,1550年代貴久が藩内をほぼ統一した頃,向嶋も藩の直轄地となっています。1625年藩主家久公が,向島西方に総鎮守五社大明神を建立し,その時黒神の原五社神社も移転しています。また1698年3代綱貴の代に「向嶋を桜嶋と唱可申旨」と桜島と島名を変更しています。

 江戸時代に,江戸にも向島という地名が存在しており,幕府との関係を配慮し島名を桜島に変更したと言われています。しかし,江戸の向島は地名ではなく「隅田川の向こう側の地域」で,川沿いの景勝地や歓楽街,観光地を指す呼称であり,特に変更の必要はなかったと思われます。ここで言う陸地にある「島」は,川や土手なとで隔された地域で,橋も架かっていなかった所を指しています。

 島津の世となって久しいにも拘らず,薩摩藩がそのような説明をしてまで島名に拘った理由の一つとして,桜島の島津氏支配の正当性に関わることが考えられます。具体的には,鹿児島神宮領の意味合いが強かった大隅国向島の存在を変えたかったのであろうと考えられます。

薩摩国と大隅国

 吉田町もかつての大隅国であり,太閤検地の頃に薩摩国に編入されています。ましては藩庁(鹿児島城)の前面に位置する向島の名を正式に変えたかったのではないでしょうか。薩摩国・大隅国両方とも島津領ではないかとの声も聞こえそうですが,官職「薩摩守」の意味合いは大きかったのです。

 腹(原)五社神社の祭神も江戸期に一部瓊々杵命から木花開耶姫に変更されています。その理由として「桜島の五社大明神に祀られた『サクヤ姫が転じてサクラ島』となり,古代の大噴火の際には桜の花びらが海面に浮かんだ」という説を藩庁(強い力)によって提示された可能性が考えられます。

 向島という地名は全国的に数多くあり,薩摩藩がその島名を変更する必要性はなかったと思われます。しかし,島名を変更した以上,向島郷の石高徴収などから,藩として正式に地名変更を行う理由付けの必要があったのでしよう。その一つが桜島・五社大明神の祭神だったのかもしれません。

※ あくまでも個人的な見解です。

県指定文化財「埋没門柱」

・ 門柱の上部

 黒神中近くに同じく大噴火により埋没した高さ2.5メートルの門柱の上部が残っています。前兆は3日前からあり,地震の回数が次第に多くなったそうです。そして北岳近くの岩石が大爆音と共に,落下してきたそうです。近くの家屋は全て全焼したのでした。 

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