腹(原)五社神社について

 桜島の黒神(埋没鳥居の神社)と新島,そして吉野の上之原集落に桜島大噴火にまつわる「原五社神社」という聞き慣れない神社があります。まずこの神社名の「腹」と「原」の二つの表記がされていることに疑問が残りますが,桜島山腹と吉野上之原からの神社名の由来ではないかと考えられます。

 1625年,藩主島津家久公によって桜島の総鎮守として「五社大明神」が創建されたのが始まりだと言われ,神社名の通り五つの神様が祭られています。

 1698年に向島から桜島へ島名が変更されるようになる頃から,祭神「木花開耶姫命」がにわかに注目されるようになりました。個人的には明治期の神代三山陵治定と似たような思惑を感じます。

桜島の腹五社神社

 神社の由緒によると,大正3年の桜島大噴火により,腹五社を含む黒神地区の687戸が全て火山灰に埋没しました。その後の発掘作業で,御神体は一部焼けていましたが,無事なものは現在でもそのままお祀りしているようです。

 なお,御祭神の瓊々杵命の代わりに木花開耶姫命を変えることもあり,この「サクヤヒメ」が桜島の地名由来になったとされています。

➊ 腹五社神社(黒神)

・ 例祭日 旧3月17日 旧9月27日     
・ 祭神
①月讀命(天照・スサノオの兄弟),②瓊々杵尊(或いは木花開耶姫命),③彦火々出見命,④鵜草葺不合命,⑤須佐之男命  
※ 黒太字は三社共通の祭神

吉野の原五社神社

 安永大噴火(1779~1782)によって被災し,桜島の人たちは移住を余儀なくされました。時の藩主,島津重豪の命により,城下に長屋を造り避難生活をしていましたが,永住の地として吉野の帯迫付近が与えられました。

 しかし,郷愁の念から桜島の望める上之原の地に7家族が移り住むことになりました。重豪公の時代に上之原の地に原五社神社も創建されたようです。

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 上之原の原五社神社は,もともと「五社大明神」という名前でしたが,後に上之原の地名から「原五社神社」と呼ばれるようになったそうです。 

・ 上之原集落からの桜島の眺望

❷ 上之原の原五社神社

・ 祭神 
 ①瓊々杵尊 ②木花開耶姫命 ③彦火々出見尊 ④鵜草葺不合命 ⑤玉依姫命
 当神社は安永8年の桜島大噴火によって桜島黒神村から移住した人たちで故郷の守護神原五社神社の祭神を奉斎し,安政3年(1856)社殿を建て祀る。上之原地区及び近郷の鎮守の神として崇敬されるようになった。
・ 春祭 4月23日  秋祭 9月29日  例祭 12月10日

桜島の新島(燃島)の五社神社

❸ 新島の五社神社 

・ 例祭日 11月20日
・ 御祭神  
①月読命,②瓊々杵尊,③彦火々出見尊
鵜萱蕗葺不合尊,⑤豊玉彦命

 テレビでも紹介されました新島の五社神社は,当初氏子7戸10名が神社を守っていたそうです。春と秋の祭典では,舟で神主を迎え,執り行われていました。しかし,その後無人島となり,桜島を見守るこの五社神社が廃れていく様子が,佐々木さん一家の移住の決め手になったそうです。

 この新島は桜島の安永噴火に伴う海底隆起で生まれ島で,江戸期には燃島の愛称で呼ばれていました。

・ 新島(燃島) 

 1810年6月28日には伊能隊も新島にやって来て測量を行っています。

 伊能の測量日記に「黒上村(黒神)より新燃まで,新島五島(※二島は遠測)も測る。この新島は,元来六島湧出したが,その内大島は程なく海中に引き込まれたと伝わる。大風や波で年々小さくなって今は立岩が残るだけである」と記されています。周囲2157メートルとされています。

 また,明治33年には桜洲小学校新島分校が設置されましたが,昭和47年に廃校になりました。

吉野の七社神社

 五社神社や七社神社,十五社神社とは,どのような神社なのでしょうか。それらの数字が祭神の数であることは想像できますが,神社の形態により,その合祀内容も異っています。前回,十五社神社の由来についてお話しましたが,今回は吉野の七社神社について紹介します。

・ 地名にもなっている吉野の七社神社

 寺社の由来書によれば,吉野の七社神社は,近江国の日吉大社,西宮の上七社を勧請したものです。1768年,神主の本田親盈が寺社奉行に届け出ました。この七社神社は,別当寺である善聚院から移設されたそうです。

 祭神は,「①大巳貴命(おおなむち)」「②大国主命(おおくにぬし)」「③大物主命(おおものぬし)」「④葦原醜男神(あしはらしこおのかみ)」「⑤八千戈神(やちほこのかみ)」「⑥大国玉神(おおくにのたま)」「⑦顕国玉神(うつくしたま)」の七座で,これらの名前が神社名の由来となっています。

 しかし,これら七神はすべて大国主命の別称であり,実は同じ神様なのです。「一神で七つの名前を持っている」それだけ国民に愛された神様であり,大黒天と結びついた福の神,また縁結びの神として信仰されてきました。彼は出雲大社の祭神でもあります。 

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