焼酎と泡盛【R5】10月2号

(1) 焼酎に関する落書きの内容

「大きな仕事が終わったのに,ここの主人はドケチで一回も焼酎を振る舞ってくれなかった。職人には棟上げが済んだら飲ませる習いだから,棟梁のおれが出すはめになった。迷惑な話じゃど。」と言ったようなことでしょうか。

・ 日本にサツマイモが最初に伝来したのは1605年に野国総官により琉球に伝わったとされている。本土の鹿児島には、琉球出兵(1611年)の際に兵士が持ち帰った説、種子島久基が1698年に琉球王尚貞より取り寄せた説、そして一般的なものが山川の漁師,前田利右衛門が1705年に琉球から持ち帰った説である。その後1734年青木昆陽が薩摩から江戸に伝えて「サツマイモ」と呼ばれるようになった。

 昭和時代までは県民は中国から伝わった芋なので唐芋と呼んでいたが,今ではサツマイモと統一されている。ということは,この郡山八幡神社の落書きが1559年なので当時の焼酎は,芋焼酎ではなく米や泡,麦などであったのだろう。

 沖縄の泡盛の歴史は更に古く,室町時代には酒の蒸留技術と共にタイから琉球に伝えられと言われている。琉球の気候にあった蒸留酒、泡盛が誕生したのだ。琉球出兵以降,日本の酒より上質な泡盛は高級品として薩摩に持たされた。

(2) 伊能測量

 1810年5月8日,串間市から薩摩領志布志に入った伊能測量隊を,薩摩藩士野元嘉三次,岩山雲八らが出迎えた。宿泊地で坂部ら伊能測量隊へ泡盛一壷国分刻煙草などを贈っている。泡盛は当時藩主クラスへの贈答品とされ,大変貴重なものであった。(薩摩藩が大変気を使っていたことが分かる。)伊能隊では天体観測(木星凌犯)や観測記録のまとめなどがあり,酒は厳禁なので直ちに江戸に送っていた。隊員の飲酒が見つかった場合,解雇されたと言う。

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