父の学徒動員

 前回のブログで,鹿児島が樟脳(しょうのう)の産地であり,その原料となるクスノキの大木がたくさんあったこと,そして父が樟脳会社の設立に挑戦し,失敗したことについて投稿しました。

父の樟脳会社の夢

 その「樟脳会社設立の話に飛びついた」理由について,もう少し補足したいと思います。

 実は,父は戦時中に神戸の企業で学徒勤労動員として働いており,その会社が元々,樟脳の取引で財を築いた企業だったのです。つまり,父にとって樟脳は馴染み深いものであり,ある程度の知識と関心を持っていたことが,樟脳会社起業の夢へつながったようです。

・ 神戸の湊川中学校

 昭和18年後半に入ると,戦局の悪化により,役場からの要請で父の実家の農地半分以上が使えなくなってしまいました。生活の糧を失った状況で,父と祖父はやむなく親戚のつてを頼り,神戸へ向かいました。祖父が働いたのは「日商産業」という神戸の企業であり,父もまた,神戸の湊川中学校(現在の湊川高校)に通いながら,学徒勤労動員として関連会社で働き始めました。

ノブの父が勤めていた「鈴木商店」

 この「日商産業」は,朝ドラ『あんぱん』に登場したノブの父が勤めていた「鈴木商店」(昭和2年に破綻)の流れをくむ会社でした。鈴木商店は,かつて日本一の大企業と呼ばれ,特に樟脳の貿易で財を築いた企業のようです。そのような背景を知っていた父にとって,戦後の混乱期に持ちかけられた「樟脳会社の共同経営」の話は,大きなチャンスに映ったのかもしれません。

大楠が残る城山自然遊歩道

 ところで,鹿児島におけるクスノキの大木は,戦後しばらく続いた無断伐採の影響で,今ではあまり見られなくなりました。現在,クスノキの大木を見ることができるのは,神社の鎮守の森や山奥など,限られた場所だけになっています。

 鹿児島市の「城山自然遊歩道」の案内板によれば,この城山は昭和6年に国の「史跡・天然記念物」に指定されており,樹齢四百年を超える大クスが今も残されています。常緑広葉樹やシダ類が豊かに繁茂し,南九州特有の亜熱帯性の林相を保っており,多くの野鳥や昆虫が生息する自然の宝庫です。また,桜島や錦江湾,開聞岳,鹿児島市街地を望む絶景の場所にある市内一の観光スポットで,夏場でも涼しい市民のウォーキングコースになっています。

サザエさんの叔父岩切重雄と城山自然遊歩道

 以前,当ブログ「サザエさんを支えた鹿児島市長」(2月11日号)でもご紹介しましたが,サザエさんを世に送り出した岩切重雄氏が,まだ鹿児島市の助役だった大正時代に手がけた事業の一つに,「城山自然遊歩道」の整備があります。

 郷土人系によれば,この遊歩道の整備にあたって,クスノキの大木を2~3本伐採してしまい,それを知った島津一門の上原勇作元帥から,烈火のごとく叱責されたという逸話が残されています。岩切氏は,「もともと枯れていた木でしたよ」と,うまく言い逃れたそうですが,この一件からも,クスノキが鹿児島にとっていかに大切な資源であったかがうかがえます。

ツルの絡まるクスノキ

・ 絡まったツルが樹木を締め上げているように見えます。

 現在も,城山にはクスノキの大木が何本も残っており,その姿には歴史の重みを感じさせられます。しかしながら,よく観察してみると,樹木にツルが絡まり,幹が弱っているようにも見えました。国の天然記念物に指定されているために,むやみに手入れ出来ないのかもしれませんが,大切な遺産だからこそ,適切な手入れが必要なのではないかと思いながら,毎回,城山自然遊歩道を歩いています。

 私はこれまでの勤務校で,校庭や学校林などの樹木の管理は,木が弱るので絡まっているツルは全て切っていましたので,城山のつるの絡まった樹木を見ると気になってしかたありません。

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