父の起業の失敗と東京行き

 前回の母の話で,夫婦での「大学へのチャレンジ」について投稿しましたが,そのきっかけとなった父の事業失敗についてお話します。

新たな夢への挑戦

 両親は結婚後,しばらくの間,慣れない農業に取り組んでいました。しかし,頼りにしていた祖母が結核を患い療養生活に入ると,農業もうまくいかず,二人は将来に不安を感じていたそうです。悩んでいる父の元に,小・中学校時代の友人から「兄が鹿屋で樟脳会社を営んでおり,非常に儲かっている」という話が舞い込みました。

 さらに,「出資してもらえれば事業を拡大できるので,一緒にやらないか」と誘いの話があったのです。樟脳は新しい薬品が開発されるまでの戦後しばらくは,防虫剤や医薬品として珍重され高くで売れていたそうです。

 父は高校卒業後に神戸の企業で仲買卸の経験から起業することは多少の自信もあり,その話に飛びつきました。そして,祖母が48歳で亡くなると,父はすぐに田んぼ何枚か売却した多額の現金を持って,鹿屋の友人の兄宅に向かいました。こうして樟脳会社を経営する決意を固め,夫婦二人で夫の故郷を離れることになったのです。

 父と母は,田舎での農業を捨て,「樟脳会社」経営という新しいスタートを切ろうとしていました。父は直接鹿屋に,母は今後の相談のために鹿児島の実家に立ち寄りました。

事業の失敗と兄の誕生

 母が実家に立ち寄ると,その様子を見ていた祖母が,母が妊娠していることに気づき,祖父の強い要望もあり,暫く実家で様子を見ることになりました。母は予定していた鹿屋での仕事の協力が出来なくなってしまいました。

 その後しばらくすると,紹介された共同経営の事業はうまくいっておらず,今で言えば詐欺まがいのような話だったそうです。父は現実を思い知り,わずかな期間で多額の現金を失うことになったのです。

・当時全国的に売れていた樟脳薬品

 その後,騙された父が,母の実家に立ち寄りました。意気消沈した父はしばらく言葉が出なかったそうです。

祖父からの助言

 この頃は,朝鮮特需もあり戦後の混乱からようやく立ち直り始めた時期で,起業や就職などの選択肢も徐々に増えつつありました。そんな中,母が父の将来について祖父に相談したところ,「戦後の荒廃した鹿児島で新しく商売を始めるには,彼の器量では難しいだろう」との助言を受けました。

 祖父は,父の就職について,これまで多くの関係者に相談していましたが,戦後の混乱もあり,希望通りの返答をもらえなかったようです。そこで祖父は,一つの選択肢として,終戦直後と比べて待遇が改善されていた教員の道を勧めました。

 また,母方の祖父は,かつて台湾師範学校を卒業し,県内で教員として勤務していた経歴がありました。さらに,母の叔父や叔母たちの多くも教員を務めていたことから,教員になることは母自身の願いでもあったそうです。

 そこで祖父は,「二人ともまだ若いのだから,東京に出て大学卒業の資格を取ってからでも遅くはない」と話し始めました。そして,「これから先は,必ず学歴社会がやってくる。今のうちに思い切って東京で頑張ってみれば,きっと良い結果が得られる」と言ったのです。

 母はこの言葉を聞き,心強い味方を得たような気持ちになったといいます。そして,母の強い希望もあって,父が教職の道を改めて挑戦することになりました。こうして,夫婦での東京生活が始まろうとしていました。 (つづく)

・ 道野の樟脳製造所遺構

樟脳とは

 ところで,3年前に県内有数のリアス式海岸の絶景が望めるということで,笠沙町の野間岬から坊津町の坊岬まで続く海岸線が一望出来る登山ルートを訪れたことがありました。

 車岳(356m)・尊牛山(318m)・草野岳(448m)までの縦走ルートで「坊津アルプス」とも言われるそうです。結構ハードな登山でしたが,ルート沿いからの美しい海岸の眺望が覗くと疲れも癒されました。

・車岳・尊牛山

樟脳工場跡

 帰り道の県道沿いに「道野樟脳製造所遺構」がありました。

 樟脳作りは,慶長年間,韓国から美山に渡来した陶工たちが製造を始めたとされています。「東洋の白銀」と呼ばれ,薩摩藩の時代から奄美の黒糖と共に薩摩藩にばく大な利益をもたらしました。樟脳は戦後しばらくの間は,防虫剤や医薬品として珍重されていました。

安楽山宮神社の大楠

・ 安楽山宮神社の大楠

 昨日(R7・9・19),県内有数の大クスを見るために,志布志市安楽(あんらく)にある安楽(やすら)山宮神社を訪ねました。境内に足を踏み入れると,そこには圧倒されるような存在感を放つ一本の大クスが境内にたたずんでいました。

 神社の案内板によると,この大クスは天智天皇のお手植えと伝えられており,全国にある大楠の中でも特に樹勢が良いことで知られているそうです。幹は太く,枝葉は天を覆うように広がり,根は地中深く張っていました。

 この大クスは,日本一の「蒲生の大楠」と同じく,国の天然記念物に指定されています。実際に目にしてみると,その大きさや生命力において,蒲生の大楠にも劣らない迫力を感じました。長い年月を経てなお,変わらずそこに立ち続けるその姿に,強く心を打たれました。

 鹿児島県はかつて,樟脳の原料として使われるクスノキが豊富な土地でした。しかし,戦前までにその多くが伐採され,現在では大きなクスノキを見ることはあまりありません。今では,神社などにわずかに残され,御神木として大切に守られています。

1 樹 齢 1300年(1600)  
2 樹 高 23.6m(30.0)
3 根周り 32.2m(33.5)    
4 目通り 17.1m(24.2)
※ ( )の数字は蒲生の日本一の大楠の大きさ

・ 国指定天然記念物「志布志の大クス」

タイトルとURLをコピーしました