甑島の伊能測量《R5》12月10号

 伊能忠敬が行った1810年8月1日から19日までの甑島測量には,幕府に特定の狙いがあったと記している資料があります。しかし,伊能の日記からは他の測量と同様の日程が確認でき,隠密行動に関するような日程や測量記述は見当たりません。それ以上に,困難な地形と天候による課題が測量に影響を与えたことがうかがえます。また,この地域は断崖絶壁が多く,街道測量や船測が非常に困難であったことが記されています。 測量隊は旭宝山西昌寺の近くにある郷士宅に宿泊し,夜間には木星の天測を行いました(小惑星の凌犯も観測)。

 東シナ海側の瀬々浦辺りは,断崖絶壁であり,波が高く船測もほとんど不可能であったと記されています。特に瀬々浦周辺は大難所であり,船での測量が難しいほどでした。(記載はありませんが,伊能にナポレオン岩は人の顔に見えたのでしょうか)19日には串木野の浜に到着しています。

・ 日記に記録されている観測箇所「薗山・射手﨑・飛切浜・里村松島﨑・蓑懸﨑・西ノ浜・長目浜・瀬上村魚待﨑・ハタヤケ池・中甑村中河原・中島山・平村小池鼻・矢﨑・辺田串・平瀬鼻」

伊能日記より

・ 伊能測量(1810年8月1日~19日)
1(上甑) 旭宝山西昌寺(貧寺なり) 8/2 薗山・射手﨑・飛切浜・野島・松島﨑 
8/4 簔懸﨑・茅牟田 8/5 西ノ浜・長目浜・ハタヤケ池・瀬上村二子・キス河原 
8/6 小島・瀬上村二子・待﨑・上ケ鞍 8/7 キスコ・小島村中河原 8/8 平村・辺田串・宇都・葵﨑・茅牟田・矢﨑・江石・鞍妻﨑  8/9(中甑)沖ノ串・下津々(郷士梶原五兵衛) 
8/10 津布羅・平瀬鼻・中ノ浦 8/11ヘシゲ浦・芦浜 8/12(下甑)江崎・瀬尾﨑・青瀬村 8/13 青瀬村・瀬尾・浜ノ市浦・手打﨑を回り石垣まで測 8/14 浜市浦・手打村・大串・片野浦・瀬々浦村早﨑・内浦 難所のため再側ありなので不要 8/15波高く船測も出来ない 
8/16 片野浦・瀬々浦村・内ノ河内・中ノ浦の山上 8/17 瀬々浦村を出発し 青瀬村まで  8/18 里村へ船で向かったら北風強く里村までは無理で中甑島村に着き陸路8キロ歩いた。
8/19 串木野着 

※ 甑島測量の期間中,天草から大庄屋中原新吾,庄屋上田源作等が来島しています。一月前には次の測量地へ計画書を送付し,人足の手配をしていたようです。その確認のため,わざわざ天草から船に乗ってやってきたのでしょう。 また,薩摩藩から贈物あり琉球紬三反が贈られています。次の肥後熊本城下へ手配状を送ったことも記されています。

・ 伊能日記に旭宝山西昌寺(貧寺なり)の記載され,近くの郷士宅に宿泊しています。

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