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さて,初詣は晴天に恵まれ,地域の産土神社である近くの日枝神社へ行きました。毎年,原良と常盤の二か所の日枝神社(産土神社)と城西公園にあった薬師堂にも参拝していましたが,薬師堂は現在は取り壊され更地になってしまいました。
日枝神社は全国にたくさんあり,その総本社は滋賀県大津市の日吉大社です。この日吉大社では比叡山に鎮座する神々,「山王様」をお祀りしています。比叡山はかつて「日枝山(ひえいやま)」と呼ばれていたため,全国の日吉大社から勧請を受けた神社の近くには「日枝(ひえ)」「山王(さんのう)」「日吉(ひよし)」といった地名が付けられていることがあり,鹿児島にも多い地名です。ちなみに,鹿児島高校前の市道は江戸時代には「山王道」と呼ばれていたそうです。
今では暗渠になり面影もありませんが,この道沿いには,昭和50年代まで武岡・明和を源流とする原良川が流れており,現在の道幅の半分ほどしかありませんでした。そのため,市営バス同士がすれ違う際には双方の運転手が手で方向指示器を引っ込めて慎重に離合していました。時には,街路樹として植えられていた川沿いの桜の枝をノコギリで切ることもあり,運転手たちも大変だなと思って見ていました。

・バスの方向指示器
山王権現(日枝神社)
社伝によれば,創建は少なくとも500年以上前だと伝えられています。また,郡山川田駿河守が産土神を当社に合祀したとされ,戦国期にはこの地が島津氏の統治下ではなかったことが分かります。江戸時代には神仏習合の影響で「山王権現」と呼ばれていました。現在では周辺が団地になっていますが,付近の山は「山王山」と呼ばれていたそうです。

原良町民の産土神として,毎年7月と10月に例祭が行われ,かつては町民がここに集まり,雨乞いや虫払,悪疫退散などの祈願を行っていたそうです。現在でも,子どもが生まれると家族そろって本社を参拝し無事息災を祈るなど,地域の人々から厚く崇敬されています。

城西公園の薬師堂
以前にも投稿しましたが,鹿児島高校横の城西公園に薬師堂がありました。現在,お堂は壊されて更地になっていますが,六地蔵塔(島津斉彬の六男・哲丸の供養塔)だけは残っています。この公園は地域の子どもたちの遊び場で,六月灯や薬師如来の夏祭り,地域の集いなど思い出多き場所でした。

小さな神社の存続危機
最近これまで勤務としてきた学校区の小さな神社がいくつか無くなってきています。自治体まかせの小さな神社の運営は,年々厳しさを増しています。六月灯や祭りなどの行事には,地域の人々も集まりますが,実際の運営面は高齢の役員たちに任せっぱなしで,その上補助金や寄付金も不足している厳しい状況が続いていたのです。
地域の総会でたまに話題になったのが,自治会費を払っている会員から「仏教徒や他の宗教徒が多いのになぜ神社のみに公金を支出しなければならないのか」や,「これは宗教の自由に反する憲法違反行為ではないか」との指摘で,徐々に運営費用が削られていきました。
自治会費や補助金に依存していた神社の運営は,寄付金のみで成立していくことが難しくなり,神社の存続そのものが危ぶまれています。「やりたい人たちだけでやればいい」などの極端な意見まで出る始末。「薬師堂の撤去」もそのような理由かもしれませんね。地域から祭りがなくなるどころか神社そのものがなくなる現実が迫っており,寂しい限りです。

・撤去され更地になった薬師堂
明治時代の「神仏分離令」や「一村一社令」などによって強化された神社の運営面は,戦後の昭和20年12月にGHQによって出された「神道令」によって国家神道の仕組が廃止されたのです。国の法人格から民間法人に転換させられ,結果として自治体のみの運営になり,財源力のない小さな神社は消滅していったのです。このままでは近い将来,全国の「おらが村の産土神社」が無くなる日がやってくるかもしれませんね。