泰陽山直林寺跡(史跡標識)
石屋と桂庵が関わった禅宗系の寺院を取り上げています。今回は鹿児島市春山町にある泰陽山直林寺です。1384年(至徳元年)創建の直林寺は曹洞宗本山総持寺の末寺で,開山は通幻和尚,開基は石屋和尚の創建で本尊は阿弥陀如来になります。初代住職を開山,寺院の基礎をスポンサーを開基と呼ぶそうです。石屋禅宗の師である通幻寂霊和尚(總持寺5世)が開山となっていますが,師の許可をとった形式だけのものであろうと思われます。
史跡標識には,「この辺り一帯が当時の寺域であると言われています。名僧として名高い直林寺四世の仲翁和尚が1444年から住職として過ごすなど,薩摩における有数の寺院であったことが分かります。至徳年間に曹洞宗能登国(石川県)の総持寺の末寺として石屋真梁禅師が建立し石屋禅宗の師通幻寂霊和尚を開山としています。足利義満が室町幕府三代将軍として活躍していた頃にあたります。」と記されています。
・ 直林寺
彦山神社(春山地区の氏神)
・ 彦山神社
〇 鎮守堂:当寺の山足(ふもと)にあり、彦山権現を祀る。文安元年(1444)甲子九月十八日再興の棟札あり。当寺四世の住持仲翁和尚の手書なりといふ。この鎮守堂が現在の彦山神社であるといわれています。
・ 彦山神社は祭神(宇迦御魂神・猿田彦神)で,道路向いの直林寺を開山した石屋真梁禅師の創建(1384)です。直林寺が廃れた後は,この彦山神社が春山地区の氏神となり人々に崇敬されました。
竹居正猷禅師
今回この寺を紹介したのは,竹居禅師(1380~1461)が一時期この寺にいたからです。大寧寺の岩田啓靖住職著の「大寧寺ものがたり」によると,開祖石屋禅師が丹波永沢寺の輪番住職を任期を終え,薩摩に帰る途中立ち寄ったとされています。1410年から2年間の深川城滞留で,当時天下にその名を馳せていた名僧石屋のために康福寺を建立して開山に招聘したしたのです。この時九州では地方武士団が群雄割拠し,薩摩に入ることすら困難であったからだと言われています。その後石屋は薩摩の自坊に戻りますが,入れ替わりに紹介したのが周防石屋派の高弟で同じ薩摩伊集院出身の竹居正猷禅師だったのです。
石屋よりも26歳若い愛弟子で,大寧寺4世として跡を継いだのです。しかし,1441年大内家第27代持世が京都で客死すると,深川城主鷲ノ頭弘忠は主家大内氏と激しく対立するようになり,1448年深川城外で憤死したのです。この報に接すると弘忠公への崇高篤かった竹居禅師は直ちに寺を退去し,郷里薩摩へ隠退したのがここ直林寺だったのです。