かつて頴娃町内の地名を調べる際,地元の郷土史家の西俊寛先生にご案内していただき,資料として「幻の旧陸軍 まのひ(青戸飛行場)回想記」をいただきました。県内の戦争関連の施設等で,知覧や万世,出水の特攻飛行場に比べ,頴娃町の佐世保海軍通信分遣隊(無線基地)や青戸飛行場の存在について,知る人は非常に少ないようです。
ちのひ・まのひ・はのひ
・西俊寛氏が描いた青戸飛行場跡
この回想記によると,本土決戦に備えて制空権を確保するため,知覧飛行場「知覧(ち)の飛行場(ひ)」には南北に一本しか滑走路がなく,天候や風向きによって離着陸が困難だったため,近隣に補完する飛行場の建設が必要とされました。特に,飛行機は離陸時に横風に弱いため,風向きに左右されないように東西南北に滑走路を配置する飛行場の建設が急務だったのです。枕崎が予定地として検討されましたが,距離が遠く海に近すぎるという理由から,当初の「枕崎(ま)の飛行場(ひ)」という名称はそのままで,急遽青戸に建設地が変更されました。ちなみに,加世田の萬世飛行場が「萬世(は)の飛行場(ひ)」と称されたのは,濁音や半濁音を忌み嫌ったためだそうです。
飛行場の建設には1日1万人もの労働者が動員されましたが,トラックなどの重機や道具の不足,硬い岩盤に加えて,度重なる空襲により工事は何度も中断され,飛行場が完成することなく終戦を迎えたのです。当然ながらこの飛行場からは一人の犠牲者も出なかったのです。
鹿児島県内の陸海軍の飛行場・基地跡
(1) 陸軍飛行場
①知覧 ②上別府(青戸基地・旧頴娃町) ③万世 ④徳之島 ⑤指宿・田良浜飛行場
⑥笠野原飛行場・鹿屋航空隊 ⑦出水航空隊 ⑧国分航空隊
(2) 海軍陸上基地
①岩川 ②国分第一・第二(十三塚原) ③志布志 ④串良 ⑤笠ノ原
⑥鹿屋 ⑦出水 ⑧種子島 ⑨喜界島 ⑩奄美大島 ⑪鹿児島基地
⑫出水基地 ⑬鹿屋基地 ⑭串良基地 ⑮牧之原基地 ⑯岩川基地(芙蓉部隊)
⑰笠之原基地 ⑱志布志基地 ⑲種子島基地
※ 芙蓉部隊は特攻ではなく,夜間銃爆撃部隊で半数が帰還できた。
(3) 海軍水上基地
①鹿児島(鴨池) ②指宿 ③古仁屋 ④桜島 ⑤垂水(牛根海軍航空基地跡)
忘れ去られる戦争関連施設
卓球の早田ひな選手が,特攻をテーマにした映画を見て「特攻平和会館に行きたい」と発言したことに対し,中国のSNSで批判が集中したというニュースを見ました。特攻平和会館を実際に訪れればわかることですが,この施設は特攻を美化する場ではなく,犠牲となった若者たちを追悼し,その悲劇を後世に伝えるための展示を行っています。しかし,こうした背景を知らずに安易に反対する人が多いようです。
そもそも,靖国問題を含むこれらの問題がここまで拡大した背景には,日本の新聞社が煽ったことがきっかけであり,それ以前は問題にはなっていませんでした。「生き残った特攻隊員が仲間の墓参りにも行けない国」なのです。敗戦国として仕方ないこともあるでしょうが,英霊を祭っている施設を国民が訪れることが,外国からの批判を受け,外交問題にまで発展するのは日本だけなのです。
当ブログで紹介した飛行場や基地からは,多くの若者が沖縄の空へと旅立っていきました。その多くは全国から集まった十代の若者たちでした。沖縄や広島,長崎,東京などは終戦記念日が近づくと毎年多くのメディアで取り上げられます。本県においても,知覧の特攻隊や鹿児島市の空襲は,戦争体験の悲話として語り継がれています。もちろん,知覧の特攻基地は関連施設の整備や各種コンテスト実施など,さまざまな取り組みによって,記憶が風化することなく保たれています。
しかし,ここで挙げた基地の多くは,残念ながらほとんど取り上げられず,忘れ去られているのが現状です。さらに,鹿児島県は本土の他の県に比べ,一般人が機銃掃射の被害を受けたり,基地施設の建設や運営に多くの県民が従事させられたという史実があります。こうした事実を,少なくとも県民には知っていてほしいと願っています。
・ 松原国民学校時の軍事教練の様子
※ 関連記事:8/23「芙蓉之塔・岩川飛行場」について