薩摩・長州の懸け橋となった石屋真梁と桂庵玄樹

 時代は異なりますが、室町時代に大内氏と島津氏を繋いで活躍した二人の学僧がいました。石屋真梁(薩摩)と桂庵玄樹(長州)の両者は、大内氏や島津氏の庇護のもと長州と薩摩で禅寺を創建し、多くの弟子を輩出しました。彼らの存在は両藩における学問の礎を築き、明治維新の原動力と繋がっていくのです。二人の学僧がいなければ、両藩の活躍も異なり、明治維新も別の形を取っていたでしょう。

※ 受験時期になると菅原神社にお参りする受験生家族をみかけますが,こと鹿児島県民はこの二人の天才学僧縁の寺院をお参りした方がよっぽど効果があるように思うのですが,いかがでしょうか。

・大寧寺の石屋禅師木像

※ 今回,山口県での石屋や桂庵の足取りを訪ねていきましたが,石屋禅師が大寧寺で「石屋真梁禅師600回大遠忌法要」が行われるなど曹洞宗の寺院を中心に,今でも愛され語り継がれているのに対して,桂庵玄樹のことを山口県民はまったく知らないようでした。

・ 石屋禅師(泰雲寺パンフレットより)

 文化庁の宗教年鑑によると,廃仏毀釈の影響から,鹿児島の寺院数は471寺で,全国的にも少ない県となっています。しかし,桂庵の島津氏に庇護されていた薩南学派の影響もあり,臨済宗寺院が27寺で曹洞宗の14寺の2倍に達しています。

 明治22年の「信教の自由」により,鹿児島県では島津氏による一向宗の禁教以来となる本願寺系の巻き返しが見られ,真宗大谷派を含むとその割合は52%に達しています。一方で,室町時代から盛んであった曹洞宗(14)と臨済宗(27)の禅宗系は合わせて8%に減少しています。

・ 桂庵玄樹像(鹿児島県のHPより) 

 一方,山口県では石屋派の影響が強く,曹洞宗の寺院数は268寺で,臨済宗の70寺の約4倍近くに達しています。また,寺院数も1463社で,本県と3倍以上の差があります。禅宗系の曹洞宗(268)と臨済宗(70)の寺院数は合わせて23%を占めます。この差異の一因として,曹洞宗の僧である石屋派の門下生が多いことが挙げられます。

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