文学作品の伏線について
・今週の「おむすび」 おじいちゃんのお通夜シーンについて思うこと
1 朝ドラの伏線回収 連続テレビ小説「おむすび」を楽しみにして見ています。前半は少し辛かったですが,徐々に内容が面白くなってきました。今週は,祖父の永吉さんたちが登場するシーンがありましたが,これは伏線回収のためのものでした。 テレビドラマの「伏線」は物語の大筋ではなく,視聴率や話題性を意識したものだそうです。しかし伏線を多く盛り込み,それを一気に回収する強引さはさすがにどうかと思いました。これまでの朝ドラでも大物役者(半ば準主役)の出番を無理に確保するために,ストーリーそのものを壊していると感じたことが何回かあります。 2 伏線とは 伏線については,「小説などにおいて後の重要な展開のために,前段であらかじめ関連する事柄を描いたもの」です。物事が起こる前にその要因がさりげなく示され,結果としてその出来事が描かれることで,視聴者が納得するような形になります。 伏線の本来の役割は,視聴者にとって「予感」として物語の中で自然に回収されることで,ストーリーが完結したという感動を呼び起こすものです。しかし,無理に伏線を盛り込みすぎて,回収を急ぎすぎると,物語の流れが不自然に感じられることもあります。最近のテレビドラマでよく感じます。 3 ネタバレ また,朝ドラのネタバレは番組予告のようなものなのでしょうか。SNSなどで詳細に情報が流れ,すでに物語を見たような気持ちになることがあります。しかし,SNS視聴者の影響力を無視することはできず,それがヒットドラマの一因とも言われているそうです。 やはり,脚本を大切にしたドラマ作りが求められるべきであり,視聴率ばかりを追い求めるドラマ作りは,最終的には飽きられるのではないかと思います。 視聴率だけでなく,脚本や物語のクオリティを重視したドラマ作りが求められる時代なのではないかと思います。 |
わらぐつの中の神様
私が初めて「伏線」を知ったのは教職2年目の研究授業で「わらぐつの中の神様」に取り組んだときです。教材研究をし,指導案作成をしているときに「伏線」というキーワードがでてきたのです。

・光村図書「わらぐつの中の神様」の挿絵より
本文の最後の部分に「おばあちゃんのお話が終わり,しばらくしてマサエは気づきます。おみつさんは,おばあちゃんのことなんだって!そして大工さんはおじいちゃんのことだったのです(伏線回収)。」その時,玄関でおじいちゃんが帰ってきた音がしました。「マサエは,おじいちゃんを迎えに玄関に飛び出していきました」と結んでいます。この時,学級の子どもたちもマサエと同じ顔になっていました。
初発の感想
研究授業に先立って,子どもたちに「初発の感想(授業前に一読した後の感想)」を書かせたところ,プロポーズに関する意見が多く見受けられました。「『次の日も,その次の日も』の表現から,僅か数日でプロポーズするなんて,単なる一目ぼれだ」という感想がありました。また,「おみつさんの顔をまじまじと見つめ」という表現から,この大工さんが一目ぼれで,彼女の顔が好みで毎日通っていたのだという意見もありました。しかし,肝心の「わらぐつの温かさや丈夫さ,職人の仕事に関する感想が少なかったこと」が気になりました。

・上越観光協会ホームページより
そこで,「次の朝市」までという朝市の間隔について調べたくなりました。
上越市役所の親切な担当者
作者・杉みき子さんの出身地,上越市役所に電話をかけました。
鹿児島県の新採教員で,どうしても研究授業で必要なことを説明した上で,「わらぐつの中の神様」に描かれている朝市と次の朝市の間隔について尋ねました。非常に親切な女性の担当者で,その物語の舞台となった朝市の場所をご存知だったのでしょうか,およそ「5日ごと」に市が立つことを教えてくださいました。
その際,わらぐつを販売している店を紹介していただけないかとお願いすると,現在は販売していないとのことでした。私が困っていると,担当者の方が「現在,日本一の伝統工芸職人と言われる方が上越市にいらっしゃいますので,紹介いたしましょう」とおっしゃってくださいました。
その後,職人の方に電話を入れて事情を話すと,「暖かい鹿児島ではその良さが理解しづらいだろうから,私が作ってあげます」とおっしゃっていただきました。そして数週間後,大人用と子供用のわらぐつ,さらには雪下駄まで送っていただいたのです。
感謝の気持ちでいっぱいになり,急いで連絡をして費用を尋ねると,その職人の方は「熱心な先生がこの地域の物語の授業のためにここまで頑張っているので,お金は結構です。子どもたちに雪国のことやわらぐつの温かさを教えてあげてください」とおっしゃいました。とにかく研究授業に向け必死な思いでしたので,その言葉に思わず涙がこぼれました。

・頂いたわらぐつと雪下駄
研究授業の本番
研究授業の本番では,いただいたわらぐつを取り入れ,動作化をしました。その日は12月で寒かったこともあり,自然に子どもたちから「温かい,履きやすい,軽い」などと感動の言葉が教室いっぱいに広がりました。後ろで参観していた先生方も立ち上がって見ていました。授業が終わった後も,口々に「本当にあったかーいね」と感想を言ってくれました。
また,授業の中の発表では市役所の方のお話から,初めて市に行ってから次の市が開かれるまでには最低でも2週間以上経過していることを伝えると,子どもたちは「5日の間に,おみつさんが作ったわらぐつの温かさを感じ,再度買いに来たのでは?」と考えるようになりました。
その結果,「いい仕事というのは見かけで決まるものではなく,使う人の立場になって,使いやすく,丈夫で長持ちするように作るのが本当のいい仕事だ」という表現から,職人としてそのわらぐつに惚れ込んだので一目ぼれではなく,「時間をかけておみつさんの仕事に感動し,徐々におみつさんへの思いが募っていった」という意見にまとまったのです。
この時初めて教師が真剣に準備して授業に臨むと,子どもたちも応えてくれることを知りました。
その後

その後,子どもたちの手紙と写真,授業の感想,そして鹿児島の焼酎などを一緒に送って,感謝の気持ちを伝えました。
その職人の方から頂いたわらぐつと雪下駄は40年近くたった今でも「私の大切な思い出」として,我が家に残しています。「使う人の立場になって,使いやすく,丈夫で長持ちするように作るのが本当のいい仕事だ」のとおりでした。

・光村国語教科書の挿絵
ネットで調べてみると現在では,年齢的にお孫さんが跡を嗣いでいらっしゃるようです。
あの時は本当にありがとうございました。