秀吉から賜った三宝荒神

かまどやの神様

 水俣市山間部の住吉神社の近く岩井口の三宝荒神神社を訪れました。秀吉にまつわる言い伝えが残っているからです。境内の案内板によると,「この三宝荒神様は1587年5月,太閤秀吉が薩摩征伐の帰途当村に立寄られた際に賜った神霊です。荒神様は正しくは三宝荒神といって役行者(えんのぎょうしゃ)が大和の大峯山で修業中にインスピレーションを受けてつくった仏様で,「仏宝・法宝・僧宝」の三つの宝を守護する荒神様とされています。これを「かまどやの神様」として祭られるのは,元々荒神様で不浄を忌むという意味です。

 「かまど」は,火によって一切のものを焼き払い最も清浄なものなので家を浄化する「火の神様」と呼ぶようになったと言われています。この三宝荒神様は我ら村人の生命や日毎の暮しを守ってくださる守護神様として,この地に祭られました。岩井口,市来,山小場,無田,4地区民挙って祝い五穀豊穣・無病息災・交通安全等の祈願を催し崇拝しています。」とあります。

一,薬師如来様(子どもの病気・無病息災霊験あらたかの神)

一,延命地蔵様(足腰の痛みや病気の神)

一,馬頭観世音様(牛馬の病気や怪我の神)

・左から延命地蔵様,馬頭観世音様,薬師如来様

豊臣秀吉の島津征伐

 1587年5月26日,秀吉は泰平寺(薩摩川内市)で降伏した島津義久と会見後,都への帰路につきます。途中,今だに抵抗している新納忠元が治めていた大口を通ります。物見遊山の秀吉は「曽木の滝を見物し,大口より肥後に帰らん」と答えていました。そして最後まで抵抗していた忠元のことを聞いた秀吉は義久の対応を見たいということもありました。ここ天堂ヶ尾(関白陣跡)は藩主義久の文によりようやく降伏した忠元と秀吉が会見した地なのです。

秀吉と忠元

 忠元は一時,大口城にこもって防戦の準備を進めていたそうです。「一戦も交えないで秀吉の軍門に下るなど,断じてやりたくない。秀吉軍は,遠征で食料が少なくなり,軍も疲れ切っているようではないか。大軍と言えど打ち勝つ策は必ずある」と準備を進めていました。そこに島津義久から,「私が和睦した秀吉と戦うのならば,それは私の敵であるということだ」との言葉が伝えられます。殿様の敵とみなされるのは,本意ではありませんでした。

 ようやく,忠元も降伏を決意し秀吉の陣に降伏の意を伝えに向かいました。頭を下げひれ伏す忠元に,秀吉が問いかけます。「忠元よ,まだ私と戦うつもりか」。忠元は平伏したまま,「主君である義久が戦うなら何度でも戦いましょう。しかしながら,和睦をした以上は,義久は絶対に裏切ることはございません」と答えました。

 これを聞いた秀吉はその心構えに大変感心し,忠元の顔を見てみたいと思いました。そこで,忠元にその場で刀を与えます。しかし,忠元は平伏したまま受け取り,顔を上げません。何とか顔を見たいと思い。さらに羽織も与えたのですが,これも平伏したまま受けとりやはり顔を上げません。

・三国名勝図絵の天堂箇尾(関白陣跡)

幽斎と忠元

 その時,ひれ伏す忠元の横顔の立派な口ひげを見た秀吉側近の細川幽斎が,即興で「口のあたりに鈴虫ぞなく」と,和歌の下の句を詠みました。すると忠元は,笑いながら初めて顔を上げ「うわひげを ちんちろりんと ひねりあげ」と上の句をつけて返し,居並ぶ諸将を感心させました。そして張り詰めた空気を和ませ,秀吉を喜ばせたと有名やエピソードが残っています。(普通上の句から詠みますが逆になっています)

 その後,秀吉の「曽木の滝」見物の案内役を買って一緒に立ち寄りました。大口地頭・新納忠元は,滝を案内しながら,観音淵の上に行き,そこから滝つぼの,渓流を見ることをすすめました。忠元は心の中で,秀吉にすきがあれば,滝つぼに秀吉を突き落とし,殺してしまおうと考えていたという伝説があるようです。 

 ところが,秀吉もさるもの,忠元の心の中を見通し,忠元が滝を案内する間,忠元の袖をしっかりつかまえ,体をすり寄せ一時も放さなかったそうです。袖をつかまれた忠元は,どうすることもできず,人の心を見抜く力に,心から敬服していたという話です。

 もしこの暗殺劇が本当に実現していたらその後の日本史はどうなっていたでしょう。朝鮮出兵後の混乱も各藩の疲弊も無く,我々の想像とは逆に徳川幕府は無かったかもしれませんね。しかし,秀吉は全国各地を巡って多くの伝説を残していのす。いまだに衰えない秀吉人気は,全国各地に残る身近なエピソードの存在にあるのかもしれません。豊後国・肥後国では憎き薩摩から領土を取り戻してくれた秀吉はやはりヒーローなのでしょう。

曽木の滝に立つ柳原白蓮の歌碑

 秀吉が曽木の滝に立ち寄った際,忠元が秀吉を滝つぼに落し,暗殺しようとした噂話は江戸期に広く伝わっていますので,平和な時代の創作の可能性もあるようです。本当であれば島津氏は滅んでいます。それはともかく曽木の滝に歌人の柳原白蓮が詠んだ歌碑の石碑がありますので紹介します。

・曽木の滝公園の案内板より  

 朝ドラ(花子とアン)でお馴染みの柳原白蓮が昭和32年に世界平和運動の講演のために訪れた際に,案内人から「新納忠元と秀吉の会見の様子」を聞いた後,詠んだ詩が刻まれた歌碑です。

 「もののふの 昔がたりを 曽木の滝 水のしぶきに ぬれつつぞ聞く」

・紅葉がきれいで観光客がたくさんいました。

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