種子島の「よきの焼」福元陶苑

 

・ 福元陶苑の陶器「能野焼」

種子島とは

 種子島は,私にとって思い出深い地です。子どもの頃と教頭時代を合わせて6年間暮らし,我が子たちもこの島の豊かな自然と人情の中で成長しました。

 歴史的に見ると,種子島は南蛮船の玄関口にあたり,戦国期から中国や琉球を含め西欧諸国の船が立ち寄っています。この島には,ハサミや鉄砲を生み出す高度な鍛冶技術があり,それが後に歴史を大きく動かすきっかけとなりました。

 特に象徴的なのが,1543年「以後世散々(いごよさんざん…)」の鉄砲伝来です。鉄砲は信長や秀吉,家康らによって戦の様相を一変させ,戦国時代を終わらせる大きな要因となりました。九州においても,島津氏の勢力拡大は鉄砲の影響によるものと言えるでしょう。

 種子島で鉄砲が完成した背景には,南蛮の先端技術を柔軟に取り入れる気風と,豊富な砂鉄,優れた製鉄技術があったことが挙げられます。その伝統は,現代の種子島にも息づいており,精巧なハサミや陶芸など,高度な工芸技術として受け継がれています。

・種子島の黒い砂鉄海岸

能野焼

 西之表市住吉の「よきの海水浴場」近くに,福元陶苑があります。かつてこの地には,江戸時代から明治時代にかけて「能野焼(よきのやき)」と呼ばれる窯があったそうです。その伝統を復興させたのが,窯元の福元秀義さんでした。

・国道58号線沿いの福元陶苑

 今から30年程前の話ですが,種子島の焼物の肌触りが好きで,よく買い求めていました。そんな折,ひょんなことからこの校区のPTA会長を務めていた福元さんと知り合い,それ以来,福元窯のファンになり作品を買い求めています。

・ 色合いが豊富な陶器で焼酎を美味しく飲んでいます。

 福元さんによると,「種子島焼は鉄分を多く含み,釉薬を使わないため,薪の灰が自然に表面に付着し,色合いや肌触りが変化する」とのこと。その説明を聞いて,ますます魅力を感じるようになりました。

 窯の中の火の当たり具合によって,鉄分が酸化し,赤みが強く出たり,緑やオレンジ色に変化したりするそうです。焼き上がりの色合いが予測できないのも,種子島焼の醍醐味のひとつです。やわらかく明るい色に仕上がる独特の風合いは,他にはない魅力を持つ焼き物だと感じています。

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