東郷町司野

・ 三国名勝図絵
当ブログも薩摩川内までやってきましたので,阿久根・出水の地に入ります。北薩の地は肥後の国との境にあたり,特に中世以降多くの伝説が残っており歴史的にも面白い所です。
能因法師の歌枕
平安時代,和歌の名人たちの中でも特に優れた三十六人が選ばれ,「三十六歌仙」と呼ばれました。柿本人麻呂や山部赤人,大伴家持,在原業平,小野小町,紀貫之といった誰しも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
やがて,平安時代の末になると,新たに選ばれた和歌の名人たちが「中古三十六歌仙」と呼ばれるようになります。紫式部,清少納言,和泉式部など,文学史に名を残す人物たちが名を連ねており,その中に能因法師の名もあります。
能因法師(988~1050)は,平安中期の歌人で,『小倉百人一首』にも和歌が選ばれています。彼は日本各地を旅して風景や名所を和歌に詠み込み,「能因歌枕(のういんうたまくら)」という,和歌に詠まれた名所をまとめた書物を残しました。この書は後世の歌人たちに大きな影響を与えたといわれています。和歌を詠む際にはいくつかの条件がありますので,この歌枕を知った上で改めて和歌を詠むとまた違った景色が広がっていきます。
能因法師は,鹿児島にも足を運びました。その中で,東郷の司野(つかさの)や阿久根の母子島,頴娃の水成川などを紹介しています。これらの地は「薩摩五ヶ所」として後に『三国名勝図絵』にも記され,歌の聖地として語り継がれていますので現代語訳を載せます。
なお,九州内には62カ所の能因歌枕があり,鹿児島は①みなれ川(頴娃),②母子島(阿久根),③司野(東郷町),④かざし野,⑤おもふの野の5個所になるようです。頴娃の「みなれ川」については,当ブログの「R5年8月5日号」をご覧ください。
三国名勝図絵
・ 司野(東郷町) 司野は斧淵村にあり,山崎へ通じる道の途中にあります。並木道を挟んで左右には田んぼや野原が広がり,人家もところどころに見られます。能因法師の歌枕にもなっており,薩摩の名所とされています。村の人々はこの地を「司野原」と呼んでいます。 この野は高く開けており,北側は笠山の牧場に続き,西には松林の丘があり,南には入来や樋脇の山々が連なっています。また,遠くには串木野の冠岳が雲の間から望め,眺めがたいへん素晴らしい場所です。そのため,旅人もここでしばし足を止め,景色を楽しみ,松の木陰でひと休みするのが常です。 昔,大府の巡検使が巡行する際には,この場所に仮の宿(行亭)を設けたという言い伝えもあります。地元の人々はこの場所を「茶屋の段」と呼んでいます。 この村は,かつて国司の政庁があった場所であり,その城跡は司野の西およそ22町のところにあったとされています。これが前に述べた「国司古城」です。朝廷時代には,各地の国司が京都から任地に赴任し,3年または5年ごとに交代していたようです。 「司野」という名前も,おそらく国司がこの地に赴任した際,何らかの理由があって名付けられたものと思われますが,その由来はまだ明らかではありません。 ・ 経塚山(きょうづかやま) 経塚山は,司野の西にある斧淵村に位置する松林の丘です。昔,経石(仏教の経文を刻んだ石)を納めた場所だと言われています。 現在,供養のために立てられた石の台座が三基あります。そのうち二つは高さが四尺,一つは三尺あります。それぞれに,「仏法に帰依する者」といった言葉や,「南無妙法蓮華経」と刻まれており,建武2年10月(1336)の銘も確認できます。 ~三国名勝図絵より~ |