原良の名所「花岡屋敷・日枝神社」【R5】7月10号

花岡屋敷(別荘)

 鹿屋の花岡島津家の別荘です。花岡島津家は,二十代綱貴の次男久儔をルーツとしている。1724年(享保9),大姶良郷木谷村と野里村の一部(鹿屋市西部の古江バイパス沿い)を与えられ,花岡と改名した。花岡島津は,初代久儔から7代久敬まで145年間続いた外城で,鶴羽小学校に仮屋があり,掛地頭(城下に在住)として時々領地の花岡に来ていた。鹿児島本邸は東千石町で,昭和の頃の林田ホテル天文館店から十字屋周辺一帯にあった。6代久誠の時,原良の石井手用水沿いに別荘花岡屋敷を建てた。山王通り(原良本通り)から花岡屋敷につながる原良西側の道路を花岡通りという。現在は加根又の寮で,屋敷内にある糸桜を「近衛桜」と言った。

 花岡島津は、天保九年(1724年)初代島津久儔がこの地を薩摩の外城の意味合いで収めることになり、以後島津久基(ひさもと)にいたるまで145年間続いた。ここは、花岡島津家の歴代の墓が整然と並んでいる。鹿屋市西部の木谷村と野里村

1 久儔(ひさよし)「二十二代継豊公の叔父」 
2 久尚(妻岩子夫人は継豊公の妹で花岡用水路を完成させた) 
3 久敦 4 久賢 5 久寛 
6 久誠(ひさもと)の別荘が花岡屋敷 
7 久敬(ひさたか) 「久誠の弟」 
8 久実(ひさざね)照国神社や鶴嶺神社(つるがね)の宮司,妻サユは,鶴嶺高女を作り初代校長 
9 久基(ひさもと)は源氏物語の研究で有名な国文学者
※ 1724年大姶良郷木谷村と野里村の一部を一郷として145年外城として役割を果たした花岡島津家。掛地頭で鹿児島在住。本屋敷は照国神社近くで別荘が花岡屋敷である。

日枝神社(原良地区の産土神社)

 創建は,500年以上前と伝わり,郡山の川田駿河守が産土神を当社に合祀させたとされる。祭神は大山咋神で,雨乞いや虫払い,悪疫退散等の祈願を行い,古くから原良の産土神として親しまれていた。 江戸時代,新上橋から山王権現近くまでの原良本通りを山王道と言っていた。境内の手洗鉢に寛永3年(1750年)の記録があり,原良町民の産土神として神社近くの裏山を山王山,用水路に架かった橋を山王橋と呼んでいた。

 元々山王信仰とは、滋賀県の日枝山(比叡山)山麓の日吉大社より生じた神道の信仰である。神仏習合で,比叡山を仏教的に表現・信仰したものが山王信仰であるが,明治の神仏分離により,寺院から神社になった。全国各地に,日吉・日枝・山王などという地名が見られるが元々同じものである。

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