薩摩おごじょ《R6》1月6号

かもうおごじょカレンダー

 校区公民館の方から,見ると面白いよと「かもうおごじょカレンダー(婦人心得百ヶ条)」をいただきました。これは明治時代に蒲生町の成人女性の教育の一環として作成されたそうで,家庭や社会生活における嗜みが百ヶ条にまとめられています。

 「おごじょ(御御(おごう:娘)+嬢(敬称)」とは,鹿児島の方言で女性を指す言葉です。薩摩隼人が質実剛健なイメージがあるのに対し,薩摩おごじょは優しく控えめでありながらも,しっかりとした印象があります。しかし,このカレンダーの心得を読むと,女性の優しさよりもむしろ,男に代わって家を守る逞しさやしたたかさが読み取れます。いくつか例を挙げてみましょう。

 例えば,「(3)腹を立てぬ稽古をすること」「(95)夫のきげんをとる稽古をすること」などは,旦那との関係では,薩摩の男は単純でおだてていればいいのでしょう。

留守を守る女性の力

 蒲生の地は,古くは大隅国の境で北薩摩・南薩摩・大隅の中継点で交通の要衝でした。この地域では,国境警備の武士団が必要とされた歴史的な背景から士族の割合が鹿児島の中でも特に高かったのです。実際,人口の半数以上が武士階級であったことが伝えられています。戦などで留守がちな男に代わり,家を守る「女性の力」が必要だったのでしょう。

 また,社会生活を営む上での基本,「(36)集会の時は決まった時間を守ること」「(61)集会などに出た時は始まり終りをしっかりすること」など地域との繋がりも大切にしています。急な事態にも迅速に対処するためには,物事をはっきりと伝え,自分の考えをしっかりと持つことが必要です。「(26)忙しい忙しいと言うことを口癖に言はぬこと」「(39)人の話をきく時ひそひそ話をせぬこと」「(43)アクビを人に見せぬこと」「(45)道ばたで立小便をせぬこと」「(50)おくれて入って来る人を一々ふりかえって見ないこと」などから,蒲生おごじょは,地域の女衆と協力しながら積極的で主体的な生活態度を重んじていたのです。そして,地域社会での立ち居振る舞いや生活態度も戒めています。

 薩摩でよく「議を言うな」言われますが,これは若者が年長者に自分の意見を言うなということではありません。議論の場では一人一人の意見をしっかりと発言することを求めているのです。いっぽう「(75)会などで決まったことを後で何のかの言わぬこと」,「(84)共同の仕事には自分の利害をいはぬこと」,「(85)共同で決めた事を破らぬこと」「(92)ぶつぶつ言わぬこと」などは,一度決定したことに対しては一致団結して実行することを求める言葉なのです。「薩摩おごじょ」は,日常的に周囲への気配りを忘れずに,組織での協力と調和を大切にする女性なのです。

※ 西南戦争に負け,蒲生にもようやく婦人たちが自由に話せる時代がやってきました。明治37年(1904)日露戦争が勃発した非常時に組織され蒲生小学校女子部・同窓会を母体として蒲生婦人部が結成されました。この組織は蒲生町の家庭生活の向上や地域活性化に尽力してきました。

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