逆転しない正義とは

今日のアンパン「新聞社を辞める崇」

 今朝(7月28日)の『アンパン』では,崇がついに東海林編集長に,会社を辞める決意を伝える場面で,深く心に響くシーンでした。

・NHKホームページより

 崇の思いを聞いた編集長は,どこか予期していたような表情で,崇に最後の言葉をかけます。「ノブと一緒になるのなら,仕事より大変な使命がある」,そう切り出した編集長は,崇が入社試験で語った言葉を引き合いに出して言います。

自分が正義だと思っていても,相手の立場に立てば,自分は悪になってしまう。何が正しいのか。逆転しない正義とは何か?

 さらに編集長は続けます。「ノブも,同じようなことを言っていた。お前とノブは,性格も行動力もまるで正反対だけれど,根っこの部分では似ているのかもしれない。何年かかっても,何十年かかっても,二人でその答えを見つけてみろ。」このやり取りは,正義や真実の本質に繋がる名セリフだと思いました。

・NHKホームページより

報道について

 いわゆる「反日報道」が多いと指摘される報道機関の中には,意図的に日本への批判的な動きを取り上げているようです。例えば,それまで問題とされていなかった靖国神社参拝についても,報道機関が繰り返し報じることで,隣国にとっての関心事項として反日感情に火がついた経緯があります。

 一方で,日本にとって有利となるような情報や,国益に資する事項には感心がないようです。その結果として,近隣諸国での日本に対する否定的な感情,いわゆる「反日感情」が長く続いているのではないかと思います。

 報道機関には,事実を「正確に公平に伝える」責務がありますが,今朝の朝ドラ「アンパン」のセリフのように,真実も相手側からすると逆転して虚偽になってしまいます。報道内容の選び方や編集の仕方によって,意図的に国民感情や国際関係を偏向させている可能性もあるのです。このことは,どのような情報を発信するか,また何を報じないか(報道しない権利)によっても大きく変わってきます。今日の朝ドラを見て,その選択一つ一つが,社会に影響を及ぼしていること踏まえ,報道機関は今一度これまで発信してきた内容を見つめ直す必要があるのではないでしょうか。

情報を見極める姿勢

 「特定の個人への批判を朝から晩まで,どのチャンネルでも繰り返す」最近のマスコミの報道姿勢には,以上のような問題点がそのまま当てはまるようです。先の参議院選挙の報道において,あるニュース番組のキャスターが「SNS上に氾濫する情報については,真偽(真実と虚偽)を慎重に見極める必要がある」と注意を促していました。もちろん,情報を見極める姿勢は重要です。しかし,その言葉の裏には,「私たちマスコミが伝える情報は「真実」で,SNS上の多くは「虚偽」である」ということを言いたかったことは多くの論調から分かります。果たしてそれが,今回の選挙前の公平な報道と言えるのでしょうか。国民はこれまでの偏向報道に嫌気がさして,今後ますます自ら情報を既存メディア以外から得ようとするでしょう。

 情報には,発信者の立場や価値観が強く反映されるものです。マスコミが「正義」や「真実」と信じて報道している内容であっても,見る角度を変えれば,それが「偏り」や「虚偽」と受け取られることは少なくありません。相手の立場に立ってみれば,「正義」が「悪」となり,「真実」が「虚偽」として捉えられるような逆転は,決して珍しいことではないのです。

 歴史を研究していると,統治者が交代することで,それまでの評価が大きく変わることがあります。同様に,マスコミが報じる内容も,誰に取材するか,或いはどのような視点で編集するかによって,伝えられる真実の内容が大きく変化し,場合にはまったく逆の意味合いを持つことさえあります。

 では,本当の正しさとは何なのでしょうか。決して揺らがない正義とは,存在するのでしょうか。SNSが普及し,個人が情報を発信したり,調べたりできる時代になった今,国民一人ひとりが「逆転された正義」の中にある真実を,自らの手で探す力を身につけ始めています。そして多くの人が,自分なりの答えをすでに見つけ始めているようにも思えます。

・総務省ポスター

BPOについて

 選挙前の偏向報道に対して,参政党がTBSの「報道特集」に対してBPO(放送倫理・番組向上機構)に申し立てを行う方針を表明したことが話題になっています。この件について,ある大学教授やメディア関係者,コメンテーターなどが一斉に「言論の弾圧だ」と声を上げていることが,正直なところ,違和感を覚えずにはいられません。

・放送倫理・番組向上機構(BPO)のロゴマーク「Broadcasting Ethics & Program Improvement Organization」

 まず,BPOとは国家機関でも裁判所でもなく,放送業界自身が自主的に設けた倫理監視機関です。言い換えれば,マスコミが自分たちで作ったルールに基づいて,行き過ぎた番組作りへの内省や改善を促すための仕組みです。そこへ申し立てを行うことが,なぜ「弾圧」とされるのでしょうか。その論理には首をかしげざるを得ません。そしてBPOの判断次第では,今後の報道機関への国民の信頼度に大きく関わってくるはずです。

言論の自由

 また,報道機関が自らの偏向性や問題点を指摘されると,「表現の自由」「言論の自由」と主張し,いざ自分たちが批判されると,それを「言論弾圧」とする態度は,正にダブルスタンダードと言わざるを得ません。

 さらに,政治家が「国民を第一に考える」といった趣旨の発言をすることは,多くの民主国家においてはごく自然なことではないでしょうか。例えば,ある県から選出された国会議員が「地元のために尽力します」と述べるのは当然のことです。その議員の発言を切り取って「排外主義」や「ヘイトスピーチ」と断ずること自体が「反日報道」と言われる由縁なのです。そのことで,若者たちはマスコミが言っている反対の行動をとれば,日本のためになると思い始めてきたのです。その結果が,前回の兵庫県知事選や今回の参議院選の年代別投票結果に表れています。

 最も懸念すべきなのは,都合の悪い異論や批判すら「弾圧」として扱ってしまう姿勢です。もしそうだとすれば,逆にマスコミ自体が「言論の自由」を否定しているのではないでしょうか。言論の自由とは,すべての立場からの意見が自由に交わされる環境を保障するものであって,特定の機関や立場だけが批判から免れるための盾ではないはずです。健全な民主主義を支えるためにも,メディアは自らの立場や報道姿勢に対して,より謙虚であるべきではないかと感じます。

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