雪舟の庭 日出町松屋寺

・ ネットで調べると昔の綺麗な庭園がありました。

雪舟作「万竜の庭」

 別府市の北側にある日出町の松屋寺を訪れました。雪舟が築いたと伝わる「万竜の庭」を見たかったからです。しかし,寺院の方に伺うと,庭師が不在となり手入れができず,現在は公開していないとのことでとても残念でした。歴代当主の墓の散策に行くと,壊れた塀から少しだけ庭を覗くことができました。

日出藩歴代藩主の菩提寺

 境内の案内板によると,松屋寺(しょうおくじ)は曹洞宗の寺院で,秀吉の正妻ねね(北政所)の甥にあたる木下延俊(小早川秀秋の兄)が1601年に日出藩3万石を賜り,姫路より入封したことに始まるようです。松屋寺は日出藩の歴代藩主である木下家の菩提寺となっています。

 また,寺院と共に歩み続ける推定樹齢700年以上の「日本一の大蘇鉄」は,国の天然記念物に指定されています。この蘇鉄は,大友宗麟が海外との貿易を行っていたころに南方より取り寄せたと伝えられているそうです。境内には,日出藩歴代藩主や家臣の墓,雪舟が築いたと伝わる「万竜の庭」などが散在しています。

大内氏のスパイ?

 室町幕府が勘合貿易を再開すると,大内氏など西日本の有力大名は中国との交易に力を入れていきます。幕府も倭寇対策として危険な博多経由だけでなく,日向・薩摩・琉球を経由した安全な航路を開発していきます。1467年応仁の乱勃発の時,雪舟は桂庵と同じ大内氏の遣明船で明へ渡航し,各地を巡りながら約2年間本格的な水墨画に触れて研究しました。1469年に帰国し,その後周防国のほか豊後国(1470~1475)や石見国で創作活動を行いました。1481年の秋には美濃国を旅行し,1501年頃には丹後国の天橋立に赴き,鳥観図のような『天橋立図』を残しています。雪舟が各地を訪れたのは大内氏の軍事・外交政策の通事・間者であったとの説もあるようです。同じく大内氏の庇護下にあり九州を転々とした桂庵玄樹も豊後万寿寺に入っており,その後を受け大友氏の動きを調べていた可能性などを想像すると楽しいですね。当時の大内氏と大友氏など九州の有力藩との関係性から,桂庵が豊後や肥後,薩摩の地に入ったのも何か裏がありそうですね。

※一昨年,国東半島の寺院を訪れた際,神仏習合の歴史の中で,室町期の修験者や僧侶が間者として比較的自由に移動していたことを,担当の方に伺ったことがあります。 

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