雲厳禅寺の霊巌洞

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・ 雲厳禅寺

石屋禅師の師匠,東陵永璵が開基した雲厳禅寺

 宮本武蔵が『五輪書』をしたためた霊巌洞で有名な熊本の雲厳禅寺を訪れました。宮本武蔵は,吉川英治の小説『宮本武蔵』で広く知られ,外国語にも翻訳されて多くの海外ファンを持っています。その日も,白人の旅行者らしき人たちが静かに瞑想している姿が印象的でした。しかし,『宮本武蔵』はあくまでも小説であり,司馬遼太郎の『竜馬がゆく』と同様に,史実とは異なる創作部分が多く含まれているのです。

・ 霊巌洞

 仏教では,万物は「地・水・火・風・空」の五つの要素から成り立っているとされています。この考え方に基づき,宮本武蔵は長年の修業を経て完成させた「二天一流」の兵法を,「地之巻」「水之巻」「火之巻」「風之巻」「空之巻」の五巻にまとめました。宮本武蔵が『五輪書』をしたためたとされる霊巌洞は,武蔵のファンにとって聖地なのでしょう。

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東陵永璵とは

 今回の目的は,雲厳禅寺を開山した東陵永璵の墓の存在を知ったことにあります。雲厳禅寺は,南北朝時代に日本に渡来した元の禅僧,東陵永璵(とうりょうえいよ)が建立したとされる寺院です。この東陵禅師は,石屋禅師の師匠に当たる僧侶でもあります。

 石屋禅師は,南禅寺の山蒙智明臨済宗の師に参じていますが,1352年7歳の時,中国から来朝した南禅寺23世住職の東陵禅師より石屋の道号を受けています。東陵禅師は,鎌倉時代8代執権・北条時宗が中国宋から招聘し,鎌倉五山・円覚寺を開山した無学祖元(1226~1286)の親族にあたり,無学が東陵を日本に呼んだのでた。

・ 東陵永璵の墓

 東陵永璵(1285~1365)は,鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍した曹洞宗の僧で,日本に禅をもたらした流派の一つ東陵派の祖です。東陵は,足利直義(尊氏の弟)の招きで1351年に来日し,京都の天竜寺3世や南禅寺23世,鎌倉の建長寺32世,円覚寺26世などの住持を務めた高僧です。京や鎌倉で活躍した高僧が何故熊本にと思っていましたが,同時期の学僧たちと同様,戦乱を避けて菊池氏を頼りに肥後に入り,この地で入寂したようです。

・ 東陵永璵の木像

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