霧島山系の県境と分水嶺

富士山の県境未画定地域について

・ 日本のシンボル富士山

 富士山の頂上付近に県境が未画定の部分があることは広く知られています。県境を画定するには,登記が必要であり,両県が立ち会いのもと確認し合い,書類に署名・押印する手続きが必要とされています。「日本のシンボル」である富士山を巡っては,静岡県と山梨県がそれぞれ「表富士であって裏富士ではない」との立場を主張しており,譲ることが難しい状況も理解できます。この問題は,世界各地で見られる領土問題とも通じる部分があります。

 しかし,日本本土の中心地ともいえる富士山で県境が未画定であることは,廃藩置県などの歴史的経緯を考慮しても驚きです。江戸時代には遠隔地の領地が複雑に絡んでいた知行調整地なら理解できますが,現代において県同士が譲歩できず,結果的に国がその状況を認めている(?)「県境未画定地域」が存在するのは非常に特異な事例ではないでしょうか。

 ちなみに,富士山山頂は富士山本宮浅間大社の境内とされていますが,県境は曖昧な状態のままです。また,全国的に見ると都道府県や市町村単位で飛地が多く存在しており,災害時などの行政対応では飛地が属する県や市町村が責任を負う仕組みがあります。一方で,富士山の県境未画定地域については,「両県が協力して対応する」のか,それとも「国が主体となる」のか,いずれにしても特別な体制が求められるのでしょう。

・ 四角の点線内が未画定地域で富士山の県境を曖昧にしている。

・ 概ね重なる県境と分水嶺

分水嶺とは

 川の流れを「水系」と呼び,その流域の境界となる山岳を「分水嶺」といいます。分水嶺は水系を分ける境界線であり,登山をしていると尾根ごとに森林の様子や動植物の生態が変化しているのを実感することがあります。中世の国境が分水嶺を基準に定められることが多かったのも納得がいきます。

 山に降った雨は川を伝って海へ注ぎますが,鹿児島の場合,中心に錦江湾が位置しているため,太平洋側や東シナ海側だけでなく,流域の分布が非常に複雑です。分水嶺を境に気候や植生,さらには稲作の方法まで変化していきます。そのため,律令制の時代には一番大切な水の確保(分水嶺)を国の境界の基準としていました。たとえば,薩摩半島の中心部に深く入り込む蒲生町や郡山町が中世まで大隅国に属していたのも,分水嶺によるものでした。

・ 鹿児島県内の大淀川水系

 郡山地域は鹿児島市の最大の水源地であり,薩摩半島の分水嶺である八重山から水が供給されています。この八重山を境に,川内川(北側),甲突川(東側),神之川(西側)の三つの水系に分かれており,それぞれの水は錦江湾や東シナ海へと流れ込みます。また,県内には霧島田口など,一部で大淀川水系があり,太平洋へ注ぐ地域も存在します。

 一方,宮崎県えびの市の大部分は川内川水系に属しており,薩摩の文化や植生が色濃く残るため,県外という感覚があまりありません。今回取り上げた「えびの高原」もまた,そのように感じられる理由の一つです。

霧島連山の県境と分水嶺

 霧島に目を向けると,富士山と同様に譲れない存在として,霧島連山の高千穂峰と韓国岳が挙げられるのではないでしょうか。平成の市町村合併のとき,国分市が周辺市町村と合併して霧島市となったように「霧島」という名称は鹿児島県民にとっても愛着と強いこだわりが感じられます。特に高千穂峰は,天孫降臨神話にゆかりのある地であり,明治期の薩摩出身の政治家たちが天皇を中心とした国づくりを進めるために,高千穂峰を重要視していました。

・霧島神宮古宮址

 以前のブログ「都城県の成立と県境(7月5日)」で霧島山系の県境がどのように画定されたかについて触れましたが,もともと霧島神宮は高千穂峰と御鉢の中間に位置する「脊門丘(せたお)」にあり,古宮址を経て江戸時代に現在の場所に移されたそうです。

・御鉢の上の脊門丘神社址

分水嶺でいびつに引かれた県境

 御鉢は天降川水系に属し,鹿児島県が宮崎県(小林市・高原町・都城市)にいびつな形で食い込む独特の地形をしていますが,高千穂峰まではその範囲が及んでいません。藩政時代には,頂上部分が霧島神宮も所有者の一つとして認められていたこともあり,富士山方式のように頂上部分を鹿児島県と宮崎県できれいに分け,高千穂峰付近まで県境を延ばしてほしかったという思いがあります。

 一方,分水嶺に注目すると,えびの市の白鳥山や甑岳の池塘部分,六観音御池,白紫池,不動池,さらに韓国岳山頂(標高1700m地点は宮崎県えびの市)などは川内川流域(一部は天降川水系)に属しています。特に,韓国岳では最高地点付近で宮崎県えびの市と小林市の市境がきれいに分けられていますが,鹿児島県との県境は最高地点から約20メートル下げられて設定されています。(国土地理院の緯度経度地図より)この山が両県にとって大切な存在であるにもかかわらず,最高地点を基準として県境を平等に定めなかったのか疑問が残ります。

 こうした県境の画定は,両県の立会いのもとで決められたはずですが,その詳しい経緯について知りたです。ぜひ,鹿児島県のホームページなどでチャット形式の質疑応答コーナーを設け,県境画定の経緯に関する情報を公開していただきたいと思います。

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・ えびの市の白鳥山や三つの池,甑岳山頂の池塘部分は川内川流域です。

コロナ過を経験して

 コロナ禍を経験して,以前は観光地がどの県に属しているかを意識することはあまりありませんでした。しかし,コロナ禍が収まりつつあり,ようやく旅行が可能になった頃,綾町のガラス工芸から招待状が届き,「蔵元 綾 酒泉の杜」を訪れました。その際,駐車場で「コロナ感染予防のため,宮崎県以外の方の入場をお断りします」という案内板を目にし,残念な気持ちになったのを覚えています。

 当時は,まだ県外への旅行を控えるよう全国的に呼びかけられたこともあり,鹿児島ナンバーの車を見て不快に感じる人がいるかもしれないと考え,私は急いで引き返しました。鹿児島県民にとって,霧島山系やえびの高原などは愛着のある観光地です。日本中がコロナ禍を経験し,多くの人々が内向きになった一面もありましたが,これからも両県で観光地を大切にし,出会いや交流を深めていきたいと思っています。

・高千穂峰左肩の御鉢までの稜線部分が鹿児島県

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