高隈山系の「中嶽・鷹ノ羽嶽?」(1)【R5】6月6号

・ 定年後,夫婦で健康作りの一環として始めた登山だったが,体力の無さに愕然とした。考え方を変え,天気のいい日にゆっくりと体力に合わせた無理のない計画を立て楽しむことにした。登山するのは,秋から春口までであったが,2年近くをかけ高隈連山の主だった5つコースを踏破できた。若い人たちが数日で回るコースである。幸いコロナ過の中でも,山頂では意外と多くの登山者と語り合うことができた。

・ 大箆柄岳や御岳からは霧島や開聞岳まで見渡すことができる絶景の地である。高隈山系は県内外から多くの登山者が訪れていることを知った。錦江湾沿いに連なる山地で,太古からの火山活動により地層が隆起し,噴出物が積み重なっている山容は美しく,全国から登山者が訪れるのも頷ける。わたしが知り合っただけでも,東京・福岡・長崎・愛媛・大阪など多くの県からわざわざ訪れ,年齢も小学生から90代の高齢者まで実に様々であった。

 そんな中,毎月登るという鹿屋の人から,高隈岳の「七岳詣り」について話を聞くことができた。現在高隈七岳とは,白山、横岳、平岳、妻岳、御岳、小篦柄岳、大篦柄岳の七岳であるそうだ。古くから山岳信仰の対象とされた山で,江戸期には高隈側から見られる,七嶽参詣が盛んに行われた。

・ 鹿屋市上祓川の瀬戸山神社の案内板によると,古くから山岳信仰の対象で江戸期には七嶽参詣が盛んだったようだ。七嶽とは,盆山、大箟柄嶽、小箟柄嶽、妻嶽、権現嶽、中嶽、近戸宮であるとのこと。確かに下高隈町側から見ると,白山や横岳は見えないし,各山頂の位置も垂水市側から見るのと異なっている。中嶽とタカノハが不明であったが,瀬戸山神社近くの高齢者に聞くと登山地図の写しを頂き「タカノハ」と「中嶽」が判明した。また,昭和30~40年代の登山が盛んだった頃の話を聞くことができた。

1  高隈山登山道地図

・峰越林道から見た中嶽全景

・中嶽の頂上

・鷹ノ羽山頂

・鷹ノ羽岳

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