高隈山系の「中嶽・鷹ノ羽嶽?」(4)【R5】6月9号

4  三国名勝図絵の「高隈嶽」は何処から描かれたか

(1) 描かれた場所「高隈山の東から見える所」

 鹿屋市下高隈町に仮屋ふれあいセンターがあるが,仮屋とは麓の中心地で江戸期の役所があったところだ。高隈郷は,江戸時代初めは串良郷の一部でしたが,1656年に分離して高隈郷となり,その後,上高隈村・下高隈村に分かれ,地頭仮屋は上高隈村にあった。高隈山は高い頂が数キロにも及び,望む地点で頂の位置が変わる面白い山地である。三国名勝図絵に登場する高隈嶽が描かれた場所は何所であろうか。タカノハ山頂の位置や「串良川」を前に「徳トメ(徳留集落)」や「シラサカ(白坂集落)」の地名が記され,柚木原前田の集落が望めることからすると,下高隈町の谷田西木場近くの裏山から描かれた絵図であろう。近くに御年神社があり七嶽詣りの山が全て見渡せる地である。

(2) 御年神社(みとし)

 鹿児島県神社庁によると,神社名は御年神社(ミトシジンジャ)といい,御祭神は若年神(ワカトシノカミ)とのこと。全国的には稲の神,五穀豊穣の神,年を司る神として祭られてきた御歳神で田園地帯に鎮座しています。「みとせじんじゃ」とも呼ばれています。祭神は大年ノ神で,素佐之男尊の第五皇子である大年之神とされる。その末子も御年神という年神であり,神武天皇の妃になられた方である。御年神,五穀・食物を司る宇迦之御魂神とともに代表的な穀物の神として知られている。

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