2023-12

地名散策

下甑島・手打(てうち)の地名由来について《R5》12月12号

平家落人伝説の残る手打 甑島は,全国の僻地に多い「平家落人伝説の地」の中でも特筆される一つです。下甑島の「手打」の漢字表記は全国的にも珍しい地名で,当初は漠然と平家の落人伝説に由来しており,「源氏側の兵によって追われ,手討ちにされた平家の武...
薩摩半島の歴史

甑島の歴史《R5》12月11号

1  甑島の地名 甑島は,古くは「五色島・古敷島・小敷島・子敷島・古志岐島」と呼ばれていました。また,薩摩川内市のホームページによれば,三国名勝図会に「上甑に東西を横切る瀬戸(串瀬戸)があり,その近くに,甑形(米を蒸すせいろ)の巨岩を,島民...
伊能測量

甑島の伊能測量《R5》12月10号

 伊能忠敬が行った1810年8月1日から19日までの甑島測量には,幕府に特定の狙いがあったと記している資料があります。しかし,伊能の日記からは他の測量と同様の日程が確認でき,隠密行動に関するような日程や測量記述は見当たりません。それ以上に,...
薩摩半島の歴史

甑島の津口番所跡と火立番所《R5》12月9号

 当ブログ【R5】9月10日号の「矢筈岳の火立番所」に関する記事では,藩政時代に外国船の密貿易監視の番所が設けられ,発見時にはのろしを上げて鹿児島藩庁に報告されていたことを紹介しました。これらの番所は幕府の指示に基づき設置されました。しかし...
薩摩半島の歴史

甑島の松木少将と大炊御門中将の墓《R5》12月8号

 甑島への初訪問は,県内一の甑大橋の完成により観光地としての人気が上昇し,旅行シーズンのフェリー予約が難しくなったため,冬場に訪れることとなりました。残念ながら,訪れた3日間は荒天に見舞われ,絶景ポイントからの美しい景色は楽しむことができま...
教育

県内で桜島が見える範囲はどれくらいだろうか《R5》12月7号

海岸線から水平線までの距離は約4.5km(1) 東北大震災において,津波災害の恐ろしさが衝撃的な映像と共に明らかにされました。驚くべきことに,遠くに見える水平線は僅か4.5kmで,しかも津波が飛行機のような速さで押し寄せ,圧倒的な破壊力で迫...
歴史・自然

万得領(薩摩国の鹿児島神宮領) ~日置市飯牟礼の統治の歴史~《R5》12月6号

惟宗(執印)行賢の万得領 平安時代、平季基が土地を開墾し、その土地を近衛家に寄進したことが、日本最大の島津荘の起源です。1026年からは、この地方の荘官として治め、後には平季基の娘婿である伴兼貞(肝付氏)に譲渡されました。 飯牟礼の地名は、...
歴史・自然

鹿児島唯一の官軍墓地【R5】12月5号

 10月7号「首なし塚」で続きで,県内に残る官軍の一つ岩川官軍墓地に行ってきました。岩川の官軍墓地は、西南戦争で犠牲になった官軍の兵士たちを追悼する場所です。平成になり、石橋公園に慰霊塔が建てられるまで、ここは鹿児島県で唯一の官軍墓地でした...
歴史・自然

新上橋の想いで(甲突川五石橋)【R5】12月4号

小野石・河頭石 甲突川には新上橋や西田橋など石橋(五石橋)が架かっていました。上流の玉江橋,新上橋,西田橋の三つの石材が主に小野石だったそうです。小野石は加久藤火砕流の堆積物(約30万年前)で,河頭石は加久藤火砕流や一部花野火砕流堆積物(約...
伊能測量

【Ⅲ】伊能測量の未測量区間「遠測術」【R5】12月3号

・赤の測量線が描かれていない区間「遠測術」について 次の伊能図を見る限り、南大隅町の辺塚から戸崎までの区間には測量赤線が記入されていませんが,どうしてでしょうか。伊能図は実測に厳密にこだわっており、測量されていない部分は他の資料で補完し,作...