2024-03

石屋真梁と桂庵玄樹

桂庵玄樹が薩摩にやってきた理由

 大内氏と島津氏 大内氏による庇護の下,石屋や竹居,後の桂庵たちが防府や長門,薩摩,大隅,日向の禅宗系寺院で活躍したのは偶然なのでしょうか。大内氏は遣明船交易によって財を成し,勢力を拡大し,大内文化を築き上げました。当時,大内氏や島津氏など...
石屋真梁と桂庵玄樹

桂庵玄樹

 江戸時代には、仏教系と対立していた林羅山の朱子学が幕府の官学として全国の武士の子弟教育に取り入れられていました。自ずと五山文化を背景にした仏教系の薩南学派の教えは、忘れ去られて行きました。桂庵玄樹を蘇らせた歴史家 伊地知季安 江戸時代の薩...
石屋真梁と桂庵玄樹

薩摩・長州の懸け橋となった石屋真梁と桂庵玄樹

 時代は異なりますが、室町時代に大内氏と島津氏を繋いで活躍した二人の学僧がいました。石屋真梁(薩摩)と桂庵玄樹(長州)の両者は、大内氏や島津氏の庇護のもと長州と薩摩で禅寺を創建し、多くの弟子を輩出しました。彼らの存在は両藩における学問の礎を...
石屋真梁と桂庵玄樹

元祖「漢文訓読法」発祥の正龍寺

藤原惺窩が滞在した正龍寺 山川港湾奥の旧正龍寺は,「海雲山正龍寺」として知られ,山元氏の創建と伝えられています。由緒書によれば,明徳元年(1390)名僧・虎森和尚が招かれて再建にあたったとされています。また,薩南学派の流れをくむ僧である郁芳...
歴史・自然

Ⅱ 徳光神社

・ 徳光神社・ 前田利右衛門生誕地徳光神社案内板より 指宿市の山川岡児ケ水(おかちょがみず)には,さつまいもを広めた前田利右衛門を祭る徳光神社があります。利右衛門は1705年河野家の船で琉球に渡り,そこで食べた芋の種を持ち帰りました。芋の原...
歴史・自然

Ⅰ 正龍寺と福元墓地

旧正龍寺跡の石塔群 県内には多くの石塔群を有する寺院がありました。明治の廃仏毀釈(日本で最も激しかった藩)により場所や名称を変えた寺院,案内板だけの跡形もなくなった寺院もあります。そんな中,この寺の石塔群はかつての姿を残している数少ない寺院...
学校よもやま話~雑感

うつせみ先生の想い出とビートルズ

英語の授業の一コマ 中学校時代の副担任で女性の英語の先生が「うつせみ」というあだ名でした。そのころ何名かの女子がそう呼んでいたことを覚えています。彼女は英語の授業をしながら,時折自分の好きな万葉集の話で脱線するのです。授業の内容は覚えていま...