石屋真梁(9) 通幻十哲を訪ねて~石屋(伊集院)と量外聖壽(蒲生)~ 蒲生駅 蒲生町誌によると,蒲生駅は,大隅国桑原郡の蒲生郷に位置し,役人が馬を乗り継ぐ拠点でした。この駅は,薩摩国衙(薩摩川内市御陵下町・国分寺町)と大隅国衙(国分府中)の間の距離が遠かったために設置されました。南側では,吉田を経由して鹿児島... 2024.04.27 石屋真梁(9)
県外の歴史(15) 石屋真梁開山の寺院(大寧寺) 瑞雲萬歳山 大寧護国禅寺 3月中旬に大寧寺を訪れた際,提灯の取り付け作業が行われていました。下調べ不足で知らなかったのですが,大寧寺は中国地方の桜の名所で,夜間はライトアップされ,県内外から多くの観光客が訪れるそうです。 うららかな陽光の中... 2024.04.24 県外の歴史(15)石屋真梁(9)
県外の歴史(15) 石屋真梁開山(山口泰雲寺) 今回,初めて山口市の泰雲寺(闢雲寺)を訪れました。その際,お寺の関係者に,鹿児島から石屋和尚の足跡を訪ねて旅していることを伝えると,忙しそうに作業していた手を止め,時間を割いて親切に寺の説明や世間話をしてくださいました。この寺は,まさに市... 2024.04.22 県外の歴史(15)石屋真梁(9)
学校よもやま話~雑感(16) 校医さんの想い出 志布志の大慈寺 かつて私が曽於地区の学校に勤務していた時、学校の校医さんが亡くなり葬儀に参列しました。その方は地区内で非常に有名なお医者さんで、葬儀には県内外から多くの参列者が集まりました。葬儀会場は志布志の大慈寺で、臨済宗の名刹「臨済宗... 2024.04.20 学校よもやま話~雑感(16)教育(15)
桂庵玄樹(10) 皇徳寺団地の由来となった寺院 永谷山皇徳寺跡 今回は中山インター近くの皇徳寺跡を訪れました。 日新公に儒学・朱子学を教え,『いろは歌』の原型を授けたと言われる桂庵玄樹の高弟,耕翁舜田とその弟子舜有(保泉寺)が一時期務めていた寺院であったからです。 寺跡の周りには畑が広... 2024.04.20 桂庵玄樹(10)県外の歴史(15)
県外の歴史(15) 直林寺(春山の石屋禅師創建の寺) 泰陽山直林寺跡(史跡標識) 石屋と桂庵が関わった禅宗系の寺院を取り上げています。今回は鹿児島市春山町にある泰陽山直林寺です。1384年(至徳元年)創建の直林寺は曹洞宗本山総持寺の末寺で,開山は通幻和尚,開基は石屋和尚の創建で本尊は阿弥陀如来... 2024.04.20 県外の歴史(15)石屋真梁(9)
桂庵玄樹(10) 桂庵の訓読法とは【R6】4月18日 桂樹院(田ノ浦)は何処 桂樹院は,桂庵禅師のために薩摩で初めて建立された寺院です。この寺院について,「薩隅日地理纂考」にも次のように記されています。 「吉野橋の北約109メートルの場所に,文明年間(1469~1487)に桂庵禅師が開基した。... 2024.04.18 桂庵玄樹(10)
桂庵玄樹(10) 桂庵玄樹の墓(伊敷町) 桂庵墓~日本の朱子学は薩摩から江戸に上った~ 今回,桂庵縁の地・山口県(下関市・山口市)を訪ねましたが,桂庵のことを知ってる人が殆どいませんでした。しかし桂庵と同じく大内氏の庇護のもと活躍した石屋禅師は,今でも山口県民に慕われていることを知... 2024.04.16 桂庵玄樹(10)
県外の歴史(15) 桂庵玄樹と文之和尚がいた串間市木の旧龍源寺 遣明船の寄港地 室町時代には,日南市の油津湊や外浦湊は,日向灘に面した天然の良港として栄え,遣明船の寄港地として知られていました。その中で,市木の旧龍源寺は薩摩との交易上の要所であり,繁栄を極めていました。町も栄え寺院はかつて4カ所も存在し... 2024.04.13 県外の歴史(15)石屋真梁(9)
歴史・自然(78) 惟宗広言と丹後局 丹後局舟着場跡(市来駅) 島津家の伝承によれば,初代忠久は,源頼朝の乳母比企尼の長女である丹後局が,頼朝の寵愛を受けて産んだ子どもとされます。その忠久が薩隅日三州の守護職となり薩摩に下向した際,生母の丹後局も同行し,その船が現在の市来駅近く... 2024.04.08 歴史・自然(78)