霧島神宮近くの「竜泉の蛇口」

 霧島神宮にはよく足を運ぶのですが,今回は妻がぜひ行ってみたいと話していた「竜泉の蛇口」にも立ち寄りました。この場所は,最近SNSなどでも話題になっているパワースポットの一つのようで,訪れた日は夏休みということもあり,小学生を連れたご家族の姿が何組か見受けられました。猛暑日にもかかわらず,現地はひんやりとした空気に包まれており,大変心地よい時間を過ごすことができました。

 霧島神宮は,天孫降臨の高千穂峰を望む麓に鎮座する由緒ある神社です。主祭神は,天照大神の孫にあたるニニギノミコトで,日本神話においても重要な神宮の一つです。

・ 竜泉の蛇口

 「竜泉の蛇口」の近くにはひしゃくが備えられており,私も一口飲んでみましたが,冷たく澄んだ味わいでとても美味しかったです。地図を見れば霧島川の4キロほど上流の湯之野温泉近くから取水されている用水のようですが,湧き水なのでしょうか。

 この地の清らかな水と澄んだ空気に触れ,日常から少し離れた静けさを味わうことができ,心身ともにリフレッシュできました。また,訪れたい場所でした。

・三国名勝図絵より

 三国名勝図絵によると,「1234年(文暦元年)の霧島山御鉢の大噴火により,焼失した「霧島神社」は,戦乱等により長い間,仮宮でしたが,1484年(文明16年)第11代藩主忠昌は,真書宗の僧「兼慶法印」に命じて,神社及び別当寺を造営しました。

 この時から宗旨は天台宗から真言宗となり,神社は「西御在所霧島六所大権現社」,寺は「霧島山錫杖院華林寺』といわれていました。

 1705年華林寺より出火し,神社仏閣はすべて焼失したので,1715年第21代藩主島津吉貴によって再建されました。しかし,1868年(明治元年)の廃仏毀釈によって華林寺は廃寺となったのです。この墓地は華林寺で往生した住職等の墓で,五輪塔,板碑,多宝塔等あらゆる種類の墓碑約160基が数えられるようです。(霧島市教育委員会)

・竜の頭と尻尾,亀と七福神

 案内板によりますと,現在の霧島神宮は,かつて「西御在所霧島六所権現社」と呼ばれていたそうです。この社の創建はたいへん古く,飛鳥時代以前の欽明天皇の時代,西暦540~571年のあいだにさかのぼると伝えられています。

 明治期に神仏分離令が発令されるまでは,神仏習合の形で信仰が営まれており,本尊は十一面観音であったといいます。この観音様は,竜の姿となって泉の中に現れるとされ,神秘的な信仰の対象となっていたようです。

 霧島山は古くから修験道の霊場として知られ,霧島六所権現信仰の中心地でもありました。その中核を担っていたのが,真言宗の寺院で「霧島山錫杖院華林寺」とも呼ばれ,霧島六所権現社(霧島神宮)の別当寺として重要な役割を果たしてきました。静かな山中に息づいてきた信仰の姿と,その時代を生きた人々の思いが,今なおそっと語りかけてくるように感じられました。

・ 亀と七福神

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