9月に入って
9月の声を聞くころになると,昼間の日差しにも少しずつ柔らかさが感じられるようになりました。真夏のような強烈な陽射しではなく,どこか穏やかで,秋の気配をそっと運んでくれるようです。車窓から外を眺めると,道路沿いには背の高いススキが風に揺れ,季節の移ろいを告げているのがわかります。

重陽の節句
今朝テレビで「重陽の節句」のことが,話題に上がっていました。重陽とは,もともと九月九日のことで,長い間旧暦の行事などに使われていました。旧暦の九月九日は,今年の10月29日にあたります。江戸時代には多くの神社でこの日を祭日としていたようですが,明治の新暦導入以降,季節感のずれや農繁期と重なることなどから,次第に廃れていきました。現在では,離島や山間部の小さな神社に,その名残がわずかに残っているだけです。

・ 土橋の羽黒神社
旧暦の九月九日の例祭日
三島村の竹島にある聖神社をはじめ,甑島の鹿島神社や甑島神社,さらには獅子島の獅子島神社や幣串神社,出水市の高千穂神社などでは,例祭が旧暦の九月九日に執り行われるようです。
そこで,例祭日が同じ旧九月九日のいちき串木野市の「照島神社」と,伊集院町土橋の「羽黒神社」を訪ねてきました。暑い夏場とは言え,木陰に入ると秋口の雰囲気が漂ってくる心豊かなひとときでした。

・令和7年9月9日の照島神社御朱印
江戸時代に流行った五節句
「重陽の節句」は,江戸時代に流行った「五節句」の一つで,重要な行事でした。「菊の節句」や「栗の節句」とも呼ばれ,菊や栗などが食卓に用意されていました。
節句といえば,3月3日の上巳,5月5日の端午,7月7日の七夕,そして9月9日の「重陽の節句」があります。中国では奇数(陽)が縁起の良い数字とされ,なかでも最大の陽数「9」が重なるこの日は「重陽」と呼ばれ,特に尊ばれてきました。 また,旧暦の9月9日,現在の10月中旬は稲刈りなども終わり,収穫への感謝を捧げる季節でもあります。江戸時代には庶民の間にも広まり,「五節句」のひとつとして定着し,菊酒を酌み交わしながら,厄払いと長寿を願う行事が盛んに行われました。

明治の改暦と庶民の戸惑い
しかし,明治の改暦によって新しい暦が採用されると,9月9日はまだ夏の陽気が強く残る時期で,季節感が大きくずれてしまいました。さらに農繁期と重なったこともあり,「重陽の節句」は次第に人々の暮らしから姿を消していきました。
そもそも,神社の祭日などを節句に合わせていたのは,「神仏習合」の名残と言えるのでしょう。中国から伝わった節句文化が,神道の年中行事にも取り入れられていたのです。明治以降,神仏分離政策の影響などもあり,祭日を旧暦から新暦へと改めたり,仏教色を排除する動きが進められました。しかし,西郷どんが「できるものか」言ったように,村の行事の隅々まで変えるのは容易ではなかったことも頷けます。
私が子どもの頃,「六月灯」なのにどうして7月に行うのか不思議に思ったことがありました。戦後になると,祝祭日と重なる神社行事を日程変更する地域も増え,子どもや若者の参加も減っていったようです。今では旧暦の行事も少なくなり,時代とともに変わる行事のあり方に,少しの寂しさを感じながら,伝統的な日本文化の意味を改めて考えさせられます。これでいいのかな?

・栗ご飯・焼き茄子・きくらげの天ぷら・キスの天ぷら